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Crescent~小さくても光を受けている。きっと誰かに愛されているから~

本や子ども、聖書のこと、日々の徒然を書きます。トップの画像はその時々で変わります。

2017年01月 | ARCHIVE-SELECT | 2017年03月

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心の平安

明日から3月。あっという間に過ぎ去った2月でした。

3月は異動の時期。去年は予想外の異動で、職場が変わりました。そして、今でもなお、元の職場に帰りたい気持ちは変わらない。

渡辺和子シスターは「置かれた場所で咲きなさい」という言葉を教えて下さいました。

読んでいた矢内原忠雄先生の聖書講義の本にこんなことが書かれていました。

如何なる境遇にも擾(みだ)されない心の平安、それが人の自由である。


そんな心の平安をもって、過ごしていければと思います。

| 心に響いた言葉 | 20:35 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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翼を広げるまでには

図書館から限度いっぱい本を借りていて、さらに書店で購入した本もあるのですが、最近まとまって本を読む時間があまりとれません。

休日にゆっくり読もうと思っても、思いがけない用事や身内の急な入院等で出かけることが多く、未読の本はたまる一方。
そんな中、細切れの時間を利用して読んでいる本が『あなたの人生の意味』(デイヴィッド・ブルックス著)。

まだ読み終わってはいないのですが、示唆に富む本だと私は思います。表紙の折り返しにあった言葉に即惹かれて、図書館で借りてきました。

人間には2種類の美徳がある。「履歴書向きの美徳」と「追悼文向きの美徳」だ。つまり、履歴書に書ける経歴と、葬儀で偲ばれる故人の人柄。生きる上でどちらも大切だが、私たちはつい、前者ばかりを考えて生きてはいないだろうか?


様々な人生を歩んだ10人の生涯を紹介していて、そのうち知っているのは3人だけというのもあって、私には興味深く読むことができています。アメリカでのレビューは8割がgoodで、必読書とも勧めている人がいる一方、1割はけっこう厳しい評価をしていて、お金の無駄遣いだったなんて書いている人もいます。でも、私は余裕があるなら、手元に置いておきたいなと思います。


7人目まで読み終わって、次の言葉に共感しました。

ジョージ・エリオットにその若い頃と後年になってから会ったことのある人が、エリオットを表して語っている言葉。

「あの時のメアリー・アン・エヴァンズ(ジョージ・エリオットの本名)がこれほどの人物になるとはまったく思わなかった。・・・天使は大きいほど、その翼を広げるまでには時間がかかるのだと思います。でも、一度大きい翼を広げるとことができれば、もう見えないほど遠いところへ飛んで行けます。」


「天使は大きいほど、その翼を広げるまでには時間がかる」という言葉に私は勇気づけられました。


子どもを見ていると、もどかしさを覚えるときがあります。「もっと早く・・・」と焦る気持ちにかられるときもあります。
でも、「ああ、この子は翼が大きすぎて、その翼を広げるのに時間がかかっているんだ」って思える。ちょっぴりゆとりある思いで子どもを見られる。

と言って、傍観しているだけではだめですが・・・。


私には私の時間の流れがあるように、子どもには子どもの時間の流れがある。


「天使は大きいほど、その翼を広げるまでには時間がかる」。希望を与える言葉だなって思います。

| 心に響いた言葉 | 19:45 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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わんちゃん

8年程前に迷い込んできたわんちゃんがきっかけで、犬を飼い始めました。
KIMG0127.jpg 
(携帯で撮影したのでボケてますが…。ペキニーズの女の子、もうすぐ9歳です)

人間で言うと、60歳くらいになるのでしょうか。でも、赤ちゃんみたいで、赤ちゃん言葉で話しかけてしまうこともあります。かわいいです。

特別に犬がすきだったわけではありません。でも、愛犬の様子を綴っているいくつかのブログを訪問しているうちに、わんちゃんのかわいさに魅せられていきました。ブログでしか知らないわんちゃんたちですが、ほんとうにかわいくて、その成長ぶりを楽しみにしています。

でも、今日とても悲しい報告を目にしました。ちっちゃなかわいいわんちゃんが天国に旅立ってしまったと・・・。とても愛らしくてかわいくて、元気なワンちゃんで、その訃報が本当に信じられなくて、ショックで、悲しくて・・・。ブログ主さんはどんなにか辛く悲しんでいるかと思うと、またあのかわいい表情が見られなくなると思うと、私も悲しくなります。

命には限りがあるとは分かっているけれど、でも、やはり別れはつらいです。

2/21(火)の朝日新聞「折々のことば」で紹介されていたことば;

最後にかわした言葉が心残りだった、ということにならないように(田部井淳子

心残りとならないように、日々愛するものに丁寧に向き合うことが大切なことは、身に沁みて分かります。でも、どんなに丁寧に向き合い続けても、愛する人を失うことは大きな悲しみであり、心残りはあると思います。心残りのない別れなんてないように思うのです。

深く愛していたからこそ、悲しみはより深く、心残りはより大きくなるのでは……。

いつか別れがあるから、という理由からではなく、愛しているから、愛する人と過ごす時間を大切にするのであり、思い出を作っていくのですよね。




| ひとりごと | 20:44 | comments:6 | trackbacks:0 | TOP↑

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ことば

0220asahi.jpg


 昨日2/20の朝日新聞に掲載されていました。
 「買い物袋から春が来たような匂いがした」と言う、この方の思いが分かるような気がします。

 怖い顔をしている人に話しかけるのって躊躇します。「不機嫌なのかな、気むずかしい人なのかな・・・」なんて思うでしょう。このお兄ちゃんのように商売をしているから、声をかけられるのかもしれませんが、でも、身近にいる人が怖い顔をしていたら、そう簡単には声をかけられません。

 人にはそれぞれ事情があって、その事情が人の表情を曇らせることがあります。そこにかすかでも灯りをともすことのできるものの一つが、人がかける言葉。

 最近読んでいる本に、「言葉もまた生きるのに不可欠なのもので、食べない日があっても、言葉から離れることはない」というようなことが書かれています。言葉、大切にしていきたいです。

| 新聞記事 | 20:37 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ことばがけ

 「心のともしび」というカトリックのサイトがあります。私はプロテスタントの教会に通っていますが、渡辺和子シスターやマザー・テレサのようなカトリックの方々の話も好きです。

 そのサイトに先日「始めよければ・・・」と題して、ある方からの話が掲載されていました。(記事元こちら)

 その方の父親は高校の体育の教師で放課後は陸上部のコーチをしていた。父親は選手をその気にさせる名人だったよう。インターハイや国体でも優勝する選手を何人も育てた。選手と父親は、いつもユーモラスな感覚に満たされていた。

 他県でインターハイがあった時のこと。1万メートルに出場する男子の選手がいた。彼は試合の直前に父に「先生、スパイクを忘れてきました」と言ったのだ。父親はしばし絶句したが、今から試合で走る選手を叱っても仕方がない。あわてずに、とんでもないアドバイスをした。「このグラウンドにスパイクは合わない。アップシューズのほうがぴったりだ」と。そして、「スタートが大事だから囲まれないように、始めに飛び出して引き離し、あとは最後まで他の選手に追いつかれないように走れ」と言ったのだ。

 そのアドバイスによって、その選手はその気になって、スパイクを履いている選手を見ても動揺せず、始めから飛ばした。ほかの選手に囲まれたりしないようにして走り続け、なんと優勝してしまったのだ。父親はスパイクを忘れたと聞いた時にゾッとしたそうだ。言った通りに走ることができるとは思ってもいなかったし、まして優勝するとも思っていなかった。

 もし、父親が「スパイクを忘れるなんて、バカヤロウ!」などと選手を怒鳴ったりしたら、試合に出ても、「どうせ負ける」と思って惨憺たる結果に終わっていただろう。




 このエピソードを読んで、言葉の持つ影響を感じました。私が父親だったら、「スパイクを忘れるなんて、何を考えているのか」とまずは叱責の言葉が出たと思います。

 でも、このような場合、もう起きてしまっている事実についてあれやこれや言っても仕方がない。今のこのマイナスの状況を如何にプラスに転じるか。そのことをまずは考えなければ。その時に考えるのは、困った状況に置かれている本人の気持ち。それを如何に前向きにするか。

 それは子どもに対しても同じ事が言えると思う。ただ、同じような失敗を何回も繰り返していたら、ガツンとなるのだろうな、私・・・。

| 子育て・教育 | 19:31 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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相棒Ⅳを観ました

相棒Ⅳを観てきました。私はとてもよかったと思いますし、最後のシーンでは涙が出てきました。

相棒は政治や社会の問題を巧みに取り入れて、そういった問題を視聴者に示唆します。この映画もそうで、犯罪は憎むべきものですが、加害者もまた被害者でもあって、その背景に思いを馳せると、ただ一方的に断罪することの難しさを感じました。最後のシーンでの水谷豊さん扮する杉下右京の台詞にそれは表れているのではないかと思います。

「戦火で犠牲となったのは、
 どのひとつもかけがえのない命だったのだと、
 あなたは身をもって知っている。
 生きられなかった沢山の命を覚えている。
 そのあなたが、
 こんなふうに自分の命を粗末にしてはいけない。
 たとえ裁かれる身であっても、
 あなたは、最後の時まで生きるべきです。
 いや、生きてください」



昨日2/17の朝日新聞に相棒の全面広告がありました。そこには憲法学者の木村草太さんの映画を観ての感想が掲載されていました。一部だけ転載します(文章そのままではありません)

 どんな人にも人生があり、個人として尊重される理念がある。しかし国家は時として、放置している人を数で捉え始める。たとえば100万人生きるには数人の犠牲が必要だというように。

 一人ひとりに人生があること、個々の人生を大切にする。みんながよりよき世界で生きようとするには、そこが出発点であるべき。それがないところに正義はありません。


そして、木村草太さんのコメントに、次のように見出しがつけられていました。

一人ひとりの人生を大切にする。
これがない場所に正義は存在しない。



一人ひとりの人生、命を大切にする。このことが、その国に生きる人すべてになされている国って、この世界にあるのでしょうか。
それどころか、数人の命なんて、国民の命なんてって考えることのほうが多いような・・・。


自分に自分の人生があり、大切にされたいのと同じように、他の人もそう。改めてイエス様の言葉を想います。

「それで何事でも、自分にしてもらいたいことは、他の人にもそのようにしなさい。」 (聖書 マタイの福音書7:12)

| 心に響いた言葉 | 20:53 | comments:10 | trackbacks:0 | TOP↑

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詩集『ぞうきん』

空気

お母さんは
きれいな空気のように
やさしい愛を
一日中注いでいる

子どもは
あたたかい空気のように
うれしい愛を 一日中吸っている
どちらも気がつかずに



この詩は河野進牧師の詩集『ぞうきん』に収録されているものです。
こういう詩を私は好きで、こんな母親になりたいなと思う自分も好きだったりします・・・(^^;)

我が子はどんな空気を我が家で吸っているのだろう。ちょっと怖くて聞けないけれど、もし聞いたら、なんて答えてくれるだろう?


この詩集の最後の甥にあたる方があとがきを書かれています。そのあとがきに書かれている河野牧師の姿がまたいいのです。

河野牧師が晩年に沖縄や中国、ブラジルに旅行に行った時、奥様は観光地や史跡等を観光したいのに、牧師が訪れるところは、教会や病院、保育所や老人ホームなどの福祉施設ばかりだったそうです

また、歩き疲れてタクシーに乗ろうと奥様が言ったら、「イエス様はもっとたくさん歩かれた」と言って平然と歩き続けもしたそうです。

ただ、一緒に行動をするとなると、しんどいかもしれません。私だったらきっと愚痴が出ると思います。


この詩集『ぞうきん』もいいです。
この本の帯には、去年末召天された渡辺和子シスターが言葉を寄せています。

「いまこそ、河野さんの詩を読んでいただきたいのです」
「平易な言葉でありながら、日頃、忘れがちなちょっとした心がけを思い出させてくれる」


ほんと、どの詩もすてきで、「中でも特にこの詩」という一つが選べないほどです。

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河野 進

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『雑草のような母』

ほころび

いたずらをして破った着物に
針を動かしている母の手を
なにげなく眺めていたが
心のほころびもつくろってくれる
母であったと亡くなって知る
(『雑草のような母』河野進牧師著より)


渡辺和子シスターの著書を通して河野進牧師を知りました。シスターが書かれていたのは次の詩。

天の父さま
どんな不幸を吸っても
はく息は感謝でありますように
すべては恵みの呼吸ですから



先日図書館に行った時に、何気なく検索したら、一冊だけ河野進牧師の詩集があったので、借りてきました。それが『雑草のような母』。母親が病弱だったので、深い思慕を寄せるようになり、母親のことを詠った詩が多くなったと書かれていました。

この詩集は全部、母親を思って書かれていて、素適な詩集です。冒頭の詩はその中の一つ。

「心のほころびもつくろってくれる母であった」との一節が特に心に響きました。私はそんな母であるだろうか?


もう一つ、この詩もいいです。

草花

お母さんはりこうでなくお世辞もいえず
病身ですから化粧したり
よい着物をきて出歩くでなく
茶がゆといわしずをよろこび
自然と子どもをあかずみつめて楽しんでいる
なんのみばえもない雑草のようでした
でもどんなきれいな花より
とげがなくてしたしみやすい野の花でした



母への思いは人それぞれですが、「この人が僕のお母さんで本当によかったな」って子どもが思ってくれたら嬉しい。

| 本・その他 | 19:36 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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「悪気がないからダメなんだろ・・・」

 2年前に書かれた記事ですが、とても共感するので、覚え書きに。(記事元はこちら)


 小学生の息子が同級生にいじめられて、親と子、担任と学年主任が話し合うことになった。担任はいじめをなかったことにしたかったようで、「悪気がなかったんじゃないかな・・・」と言った。
 すると、その場にいた学年主任が「悪気がないからダメなんだろ!」と担任を怒り、続けてこう言った。

「そういうことが悪いと思わないと、人を傷つけることになるんだから、それを教えるためにどうするかを考えるのが私のたちの仕事」


「悪気がなかったから、許してあげて・・・」 って言ってしまうことってあります。
でも、そうやって大人が子どもを庇うことは大人にとって「凄く楽な道」だともこの記事は書いています。
「悪気がないから仕方がないのではなく、悪気がない「だめなこと」を気づかせてあげるのもまた、大人の役目ではないでしょうか。」


「悪気がないから、仕方ない」ということは決してない。悪気がなくても、ダメななことはダメ。
当たり前の事なのに、「悪気がないから・・・」という言葉で片づけようとしてしまう。

それは子どものことを考えている訳では決してなく、自分が楽をしたいから、なのかもしれない。

| 子育て・教育 | 21:03 | comments:8 | trackbacks:0 | TOP↑

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