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Crescent~小さくても光を受けている。きっと誰かに愛されているから~

本や子ども、聖書のこと、日々の徒然を書きます。トップの画像はその時々で変わります。

2017年06月 | ARCHIVE-SELECT | 2017年08月

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ときめき

facebookを見ていたら、2年前にシェアしたあるブログ記事が目に留まりました。
その方と面識は全くありませんでしたが、超がいくつもつくほど前向きに、一所懸命に、力いっぱい、溢れるほどの感謝をもって生き抜いた姿がブログを通して心の奥深くまで伝わってきます。(ブログはこちらです

2年前の今日のブログでは、こんなふうに綴っていらっしゃいました。

たくさんの命をいただいて
食事が無事に食べられる
水も喉を通っていく
口からおいしく食べて飲むことが
生きる源であり
元気の源である



食事を食べられること、水の飲めること、食前の祈りはするけれども、それは当たり前の事と、ただ食べているだけのような気がします。

でも、この方は感謝している。そして、このようにも書いていました。

ありがとうの言葉を口にして
今日も一日頑張ろうって思った朝でした


美しい姿だなって思いますし、感動すら覚えます。
ここ最近忘れかけていたのではないかな、心からのありがとうを、感謝を。


話は変わりますが、facebookにあった「あなたの人世をたった5行であらわすと」というお遊びをしてみたら、こんな結果がでてきました。

tokimeki1.jpg

ときめき・・・。確かに見る度にマッチや古代君にときめいている。
でも、ときめきって、誰かを思ってだけのものでもないんですよね。

先に引用したブログ主さんは、きっといろんなことにときめいていらしたのではないかなって。
ときめく心って、感動する心があってのこと。感動すると、そこには、ありがとうの言葉が自然と出てくると思うんです。

ときめいて
ときめいて
ときめいて
ときめいて
幸せになる!



書いてきたことと全然関係ありませんが、どうしても記録しておきたかったこと。下の番組欄。

富山さん

今日午後9時から「ジェラシックパーク」が放映されます。その主人公の声を富山敬さんがあてています。
今はもう生で富山さんの声を聞くことはできません。それはとても悲しいですが、でも、当時の声を聞くことは、こうやってできる。
そして、新聞に「富山敬」の名前を見ると、それだけで嬉しくなります。

富山さんの声にも、私はときめいていました。pen1_16萌





| ひとりごと | 20:09 | comments:2 | trackbacks(-) | TOP↑

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うたごえペトラ

明日7月25日にとても楽しみにしていることがあります。
キリスト教関連のことですが、夜の7時から USTREAM で「うたごえペトラ」というクリスチャンの賛美グループの賛美集会が配信されます。(こちらです)

この「うたごえペトラ」は結成20年になるそうですが、私が知ったのはつい1週間程前。6月にあったものをYOTUBEで見たら、とても良くて、7月のは生でぜひ見たいのです。

この「うたごえペトラ」は、クリスチャンシンガーとしては有名な岩渕まことさんが中心となっていて、この岩渕まことさんの歌声はとてもすてきなんです。彼が作曲した「GOD BLESS YOU」・・・



♪ God Bless You 歌詞

God Bless You
神のみ恵みが 豊かにあなたの上に
注がれますように
あなたの心と体と すべてのいとなみが
守られ支えられ
喜びあふれるように 私は祈ります
God Bless You

God be with You
神のみ守りが いつでもあなたの上に
注がれますように
あなたがどこにいるとしおても
何をするとしても
いつでも神様が共におられますように
私は祈ります
God be with You



4月のあった「うたごえペトラ」・・・



私が今行っている近くの教会は基本、賛美歌集にある歌しか歌いません。賛美歌集にある賛美から3曲。それとあと1曲、賛美歌集からか、他の賛美を1曲を歌うのですが、この1曲は2ヶ月間感続けて歌うのです。

ですので、この「うたごえペトラ」のように、たくさん賛美を歌えるのは、聴けるのは本当に嬉しい。

| 聖書・信仰 | 19:48 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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「幸せ」

昨日、1学期の反省会&お疲れ様会がありました。7時過ぎから始まり、お店を出たのは10時半過ぎ。
いつもは夜10時頃に寝るので、10時近くになると眠くなる。でもみんなの話は尽きそうにない。
もうどうにも眠くなって、思い切って「もうそろそろ・・・」と伝えるとお開きに・・・。

寝るのが12時頃と遅くなるも、朝起きたのは5時頃。愛犬を散歩に連れて行ってあげないといけないので。
お昼3時間程昼寝をしたのですが、今も眠気を覚えるのは、寝不足なのか、疲れているのか、あるいは年齢を重ねているからなのか・・・。


次男の高校の3者懇談会で配布された「人権だより」に、一年生の作品が掲載されていました。

「幸せ」

「幸せ」の反対は「辛い」って思うよね。
「幸せ」から一本無くなるだけで「辛」になる。
逆に「辛」に一本付け足すだけで「幸」になる。
今が幸せでも何かが欠けたら辛くなる。
今が辛くても何かが足されるだけで幸せになる。
「幸」って字をひっくり返してみたら、
結局「幸」になるんだ。
「幸せ」の反対は「幸せ」なんだよ。


「幸」と「辛」の漢字の類似性については、よく知られています。でも、「幸」を逆にしても「幸」というのは、この詩を読んで初めて気づきました。

視点を変えてみる。視点を変えることで、今まで気づかなかったことに気づく。
そんな発見は年齢を重ねるごとに増えていくのですよね、きっと。

| 今日の出来事 | 21:40 | comments:4 | trackbacks(-) | TOP↑

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日野原重明先生

日野原重明先生が召天されました。
このニュースを知った時、かなり驚き悲しく思ったのですが、職場の人は誰も日野原重明先生のことを知らなくて、そのことにも驚いた私です。

先月末は佐々木正美先生、そして今日、日野原重明先生が天に召されました。お二人ともクリスチャンで、その信仰をはっきりと表明されていました。

我ながら驚いているのは、ここ最近、久しぶりにお二人の著書を読んだり、買ったりしていたことです。神さまが教えて下さっていたのでしょうか。


 わたしがイメージする寿命とは、手持ち時間をけずっていくというのとはまるで反対に、寿命という大きな空っぽのうつわの中に、精いっぱい生きた一瞬一瞬をつめこんでいくイメージです。
 ぼんやりして時間を過ごそうが、何かに没頭して過ごそうが、時間をどう使うかは、ひとりひとりの自由にゆだねられています。
(中略)
 時間というものは、止まることなく常に流れています。けれども時間というものは、ただの入れ物にすぎません。そこに君が何をつめこむかで、時間の中身、つまり時間の質が決まります。君が君らしく、いきいきと過ごせば、その時間はまるで君にいのちをふきこまれたように生きてくるのです。

(中略)

 うれしいときだけが「君」ではありませんよ。笑っているときの君だけが「君」ではありませんね。悲しいときの君も、はずかしくて消えてなくなりたいと思うときの君も「君」なのです。
 だから、つらいときや悲しいときの自分も大切にしなければなりません。成功して喜びでいっぱいになっているときの君も、失敗して涙を流す君も「君」です。どんなときの自分もだいじにすること、自分のことをいつも大好きだと思っていること、これはとても大切なことです。だから、決して忘れないでいてください。
『君たちに伝えたいこと』より 



お二人とも、天国でイエス様とface to faceで会っているのでしょうね。



♪ face to face (わがつみのために 聖歌641番)

 1 我が罪のために みうせたまいし
    主を拝しまつる日ぞ なつかしき

   ※ 麗しき星の彼方にゆきて
     目の当たりきみを 拝しまつらなn

 2 見るところ今は かすかなれども
   その日には顔を合わせてあい見ん
   ※繰り返し

 3 輝くみ顔を 拝しまつらば
   うれいと悩みの雲は消え失せん
   ※繰り返し

 4 げに我の望み 我の喜び
   主を拝しまつる 日はいや近し
   ※繰り返し

| ひとりごと | 20:14 | comments:6 | trackbacks(-) | TOP↑

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「その人」

 その人

 その人の前にでると
 絶対にうそが言えない
 そういう人を持つといい

 その人の顔を見ていると
 絶隊にごまかしが言えない
 そういう人を持つといい

 その人の眼を見ていると
 心にもないお世辞や
 世間的なお愛想は言えなくなる
 そういう人を持つといい

 その人の眼には
 どんな巧妙なカラクリも通じない
 その人の眼に通じるものは
 ただほんとうのことだけ
 そういう人を持つがいい

 その人といるだけで
 身も心も洗われる
 そういう人を持つがいい

 人間にはあまりにも
 うそやごまかしが多いから
 一生に一人は
 ごまかしのきかぬ人をもつがよい

 一生にひとりでいい
 そういう人を持つといい


これは相田みつをさんの詩です。昨日読んだ『なやみはつきねんだなあ』に掲載されていました。
この詩を引用し、佐々木正美先生は、「信仰のあるなしにかかわらず、『その人』のような先生に出会えたらどんなに幸運であろうか」と書かれています。

佐々木正美先生はクリスチャンで、義父もそうです。しかも、この方は内村鑑三の晩年に教えを受けた人でもあったというのです。そして、次のように書いていました。

義父にとって鑑三は、まさい「その人」であった。こわい人が「その人」であるというのが、本当は最高の「その人」だと思う。生き方の指針を示してくれ、こわい人だけれど、最後には必ず許してくれる人である。

義父はよく、鑑三ほど人間の愚かさや罪深さを知っていた人をほかには知らないと、口癖のように言っていた。人間の「うそやごまかし」を許せる人は、自分の中のそれをよく知っている人であろう。



内村鑑三はその時代の多くの人に影響を与えたと聞きます。彼に影響を受けた人たちにより、時至って今、私も影響を受けています。このことが、素直に嬉しい。

そして、信じるものが同じだということ、これもまた大いなる喜び。それはイエス・キリスト。
この数日、基督教独立学園のこと、佐々木正美先生のことを通して、イエス・キリストの素晴らしさを改め味わい、イエス様を信じてみたいと思っている方がいらっしゃることを知り、この賛美が溢れ出てきました。



♪ 「救い主は待っておられる」(第二賛美歌 196番)

 1 救い主は待っておられる お迎えしなさい
   心を定め今すぐ 主にこたえなさい

  ※今まで主は待たれた 今も主はあなたが
   心の戸を開くのを 待っておられる

 2 ひとあし主に近づくなら 受けてくださる
   心の闇は消え去り 愛がわきでる

  ※繰り返し


1 The Savior is waiting to enter your heart,
  Why don't you let Him come in?
  There's nothing in this world to keep you apart,
  What is your answer to Him?

 ※ Time after time He has waited before,
   And now He is waiting again
   To see if you're willing to open the door:
   O how He wants to come in.

2 If you'll take one step toward the Savior, my friend,
  You'll find His arms open wide;
  Receive Him, and all of your darkness will end,
  Within your heart He'll abide.

 ※ Repeat

| 聖書・信仰 | 19:32 | comments:4 | trackbacks(-) | TOP↑

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佐々木正美先生

佐々木正美先生、子どもをもつ母親なら大概の人は知っていると思います。『子どもへのまなざし』は特に有名ではないでしょうか。

その佐々木正美先生が6月28日に召されていたと今日知りました。一度だけ先生の講演を聴きに行ったことがありますが、先生のあの優しい笑顔が思い出されます。

先生の著書は何冊か読んだことがあり、特に『子どもへのまなざし』には子育てのヒントを教えられ、また励まされました。先生の本を読むと、我が子への愛おしさが湧き出でてくるんです。もっと子どもを愛そう、理解しよう、受けとめようって。
先生の子どもへのまなざしはとても優しい。

佐々木正美先生の言葉を聴きたくなって、『なやみはつきねんだなあ』を読みました。これは相田みつをさんの詩から先生がいくつか選び、大人へのメッセージを添えています。

先生が選んだ詩の一つがこれです。


あなたの
こころが
きれいだから
なんでもきれいに
見えるんだ
なあ
相田みつを あなたのこころが


詩に添えられていたメッセージの一部を引用します。

親が自分の子どものことを「可愛い」と思い続けて育てることができれば、子どもは必ず「可愛い」子どもに育つ。しかし、「心配な」子どもだと思い続けて育てれば、その子は必ず「心配な」子どもに育つのである。

子どもは親や周りの大人たちが「思っている」、あるいは「感じている」とおりに育つものだが、「望んでいる」とおりには容易には育たない。だから子どものことを「信じて」やりさえすれば、大抵は「信じられる」ような子どもに育っていくものなのに、「心配だ、心配だ」といって「信じてやらない」から、「信じられない」子どもに育ってしまうのだということを、本当にたくさんの事例から教えられてきた。

・・・

生きとし生けるもの、存在するもの、みんな美しい。こちらに美しいと感じる心があれば、みんな美しい。可愛い子ども、素晴らしい子どもだと。こちらに感じとれる心があれば、子どもはみんな、そのように育っていく。


「望んでいる」とおりにではなく、「思っている」とおりに。

あなたは我が子をどのように見ているか? 感じているか? ありのままの姿を素晴らしいと感じているか?
そう問われました。


親の欲望を言えばきりがない。でも、子どもは親の欲望の対象ではない。
子どもには「いい子」でいてほしいと思うのは、親なら誰でもそうでしょう。
「いい子」がいけないわけでは決してない。でも、それよりも大切なこと。

その子らしい輝きを持った子に。


佐々木正美がある著書に書いていた、このメッセージも好きです。

「明日もまたね」と言える子に

同じような日々の繰り返しかもしれないけれど、子どもが明日も楽しみにできますように。


我が子がまだまだ幼くて子育てに不安を感じていた時、発達障がいがあると分かった時、悩み涙した時、佐々木正美先生の著書にどれだけ励まされたことでしょう。

佐々木正美先生のご冥福をお祈りします。

| 子育て・教育 | 20:18 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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「待てない時代にどう育てるか -人間教育を支えるもの-」を読んで

あるブログ記事をきっかけに、基督教独立学園のことを思い出しました。
この学園はその名の通りキリスト教主義の学校で、内村鑑三が唱導した無教会の立場に立っています。

この学校のことは大阪にいる時に、教会の伝道集会で何回かそのドキュメンタリーが上映されて知りました。そして、将来子どもが生まれたらこんな学校に入れたいなと思いました。ホームページを読むと、改めてこの学校の良さを知りました。(ホームページはこちら)


この学校の前校長の対談がNHKの「こころの時代」で放送されたようで、その時のやりとりがネットに掲載されていました。このような学校で学ぶことのできる子ども達は幸いだなと思いました。記事はこちらにありますが、少しだけ引用します。

前校長はこの学園で学ぶ子ども達が徐々に変わっていく姿を目の当たりにして、その様子を語っているのですが、語られている子どもの姿に心が熱くなります。その様子を引用します。

1年生の9月:
 
善い子になりたい。そう願っていた。そう願うのが当たり前だった。そう願われていると思っていた。善い子が正しいと思っていた。善い子として生きてきたつもりの十六年。それは善い子のつもりなだけだった。私はわかっていた。悪い子の私は誰にも見せてはいけないこと。だから私の得意なことは、言い訳をすること、嘘をつくこと、人を裁くこと、そしてすべてを誤魔化すこと。
 
いつのまにか私は自分の中に悪い子がいることを忘れた。そして私は善い子だと思い込んだ。だから私は知らなかった。知っていたのに忘れていた。私の中に悪い子がいるということを。私は全てを誤魔化し、嘘をつくのが得意だということ。気が付きたくなかった。思い出したくなかった。だけどそのことをこの学園に来て、私は知ってしまった。私が嘘だったことを。
 
善い子でいれば愛される。必要とされる。居る場所ができる。親の前では善い子でいたかった。友だちの前でも善い子でいたかった。自分の前ですら善い子でありたかった。すべてに嘘をつき、誤魔化して、努力してでも善い子がよかった。善い子になりたかった。
 
私の中で声が聞こえる。「もういいよ! 助けてよ! 認めてよ! もっと大事にしてよ!」そう叫んでいる。聞きたくない。逃げたい。見たくない。そうやって耳を塞ぎ、目を閉じる。
 
私はいつになったら叫んでいるこの声を聞いてあげることができるのだろう。私はいつになったら本当の言葉を話すことができるのだろう。善い子になるためじゃなく、私になるために、もう一度私と出会いたい。
 

1年生の1月:
 
温かい。光は温かい。太陽は温かい。人は温かい。手を広げ、太陽を背中に浴びながら伸びをした。私の背中は光を受け取る。温かい。私の頬を伝う涙は温かかった。
 
バラバラだった私の心と身体は、また少し元に戻る。温かい。幸せだ。胸一杯に空気を吸う。すべての空気をこの世界に吐き出した。生きている。私はここで生きている。
 
生かされている。私はこの世界で生かされている。それだけで十分だった。温かい。光は温かい。太陽は温かい。人はみんな温かい。私も温かい人になれるだろうか。



また、卒業式で卒業生たちは卒業所感を語るそうですが、ある生徒が語った所感。

一歩先も定かではない。深い暗闇の中を強がって、無理矢理進んでいた三年間。目の前にある壁は厚くて、どんなに叩いても崩れはしなかった。

しかし多くの真実に触れて、あらゆる事実を受け入れようと奮闘した結果、崩されたのは目の前にあったと思っていた壁ではなく、私自身だった。そして私が見たものは、空っぽで小さく、微力でもなんでもない全く無力な私。そして私が求めた以上の優しさや愛を与えてくれている他者。そして私のすべてを大きな愛を持って受け入れてくれる神様の存在だった。

認めざるを得ない。これらの大きな存在たちが、ゴールのない迷路の中で足踏みを繰り返し、微細な障害物に途方にくれている弱い私を、いやというほど浮き彫りにした。私は、自分の問題を見詰めるばかりで、こんなにも近くにいる他者の闇を理解し、向き合おうともしてこなかった。

そればかりか、私が他者に委ねられていた、求められていた何か大切なものを、受け入れた振りをして、投げ捨ててきたのかも知れない。これが自己愛に溺れ、自分だけを守り続けた私に与えられた結果だった、と思う。

でも神様は、私が逃げたまま簡単な道に進むことを赦してくれなかった。今私はやっとスタート地点に到達した。これから始まる新たな環境の中で、学園で得たすべてのものが否定され崩されてしまっても、私は等身大の姿で祈り、その中にある本物だけを求めていきたい。真実というものが、こんなにも残酷で、美しく、大切なものであるということを知ったから。



人として根っこの部分がしっかりと育っているのですね。
これだけの思いを持っても、大学や社会ではどうなるのだろうとインタビュアーは問います。それに対して校長は、カルチャーショックは受けるだろうし、折れてしまいそうになることもあるだろう。でも、復元力が鍛えられているから、大丈夫だと。

復元力、という言葉に「ああ、なるほどな」って心の底から同意。大切で必要な力です。
生きていれば、誰だって苦境に陥ること、壁にぶち当たることはあります。そんな時、時間はかかったとしても、再び立ち上がることのできる力、復元力。


こういう力は受験勉強だけの生活からはなかなか身につくものではないでしょう。

生きることに関わる真理です。愛することや、思いやることや、信じることや、勇気を持つことって、どういうことかって、これは言葉で教えられない。自らがそれを生きてみる。試行錯誤して苦しんでみる。そのことによってしかわかってこない。

と前校長は語っていますが、その通りなんですよね、きっと。だけど、受験という流れの中に入れられてしまうと、試行錯誤するゆとりを持てない子ども達も多いのではないでしょうか。

高校卒業後の進路を見据えて、受験勉強が大切なのは分かります。ただ、それだけではやはりダメなんですよね。


人が見ていようが見ていまいが、悪いことは悪い。これを自分の責任において実行していく。人の前にそれを出していく。こういうことを通して、いわば状況とか人に合わせるということとは違う自分の基点みたいなものが心の核みたいなところにできていく。そこに立って、時代がどう変わり、状況がどう変わろうとも、真実なものに立って生きていく、という。そういう自己形成、内面形成をしてほしい、と願いまして、これが言ってみれば、ほんとの意味で独立した個としての人格になって、ほんとに責任を負える人間になる道だと思うんです。

と前校長は語っていますが、これが教育というものの本質なのだと思います

| 子育て・教育 | 19:59 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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子どもが何歳になっても

現在高校3年の長男。ずっと大学に進学したいと言っていますが、口先だけで行動が伴っていない。何を学びたいのか、将来どんなことをしたいのか、そのことが今以て「分からない」と言う。

今まで何回となく将来のことについて長男と話しました。でも、未だに分からない。長男の性格や得意なことを考えて、長男にあいそうな方向を助言してみても、いまいちピンとこない様子。

そういう長男を見ていたら、もどかしく感じる時も正直あります。そう感じる反面、長男のように迷っている、答を出せないというのは、ある意味正直なところなのかも・・・と思う時もあります。

でも、現状、高校3年生という段階で将来の方向性を自分なりに決めなければなりません。そのことを私は分かっていたはずなのに、これは子ども自身が決めることと突き放していたのではないか。寄り添う時は寄り添わないといけないのに・・・。

そんなことを思い悩むと、ふと教育って何? そう自問自答している自分がいました。「教育」ということになると、私は林竹二さんや灰谷健次郎さんの言葉を思い巡らすことが多いのですが、こんな言葉を書き留めていました。

子どもに学ぶということの根本には、子どもを信頼することが不可欠。そして子どもを信頼する心は、子どもと共に歩む中で生まれてくるもので、共に行動し、共に創り出すものである。
とりあえず子どもを信頼しておこうなどという横着な考えは通用しない。
その道程では、いくたびも子どもに自分自身を打ち砕かれるだろうし、無力感にさいなまれることもある。それでも共に歩みつづけなければならないのだ。その苦しさに負けた者が、子どもを口先で変えようとしたり、子どもに命令したりするようになるのである。(灰谷健次郎


生命への畏敬の欠けたところに教育はない。
「学んだことの証しは、ただ一つで、何かがかわることである。」
(林竹二



灰谷健次郎さんが言っているように、私は今、少しばかり子どもに自分自身を打ち砕かれ、無力感にさいなまれている。その簡単な解決方法は子どもに「こうしなさい」って命令することなのだろう。

でも、それでは何も変わらない。
長男が方向性を見出せるように、共に歩むこと。


以前ブログに、
私たち大人は見た目の「できる」「できない」にとらわれすぎているのではないかって。
だから、子どもたちが抱えている苦悩や、持っている宝に気づかないでいることが多々あるのではないか。

と書いたことがあります。(記事はこちら)

この時のこの想いが、共に歩むことの一つなのですよね。

| 子育て・教育 | 21:39 | comments:8 | trackbacks(-) | TOP↑

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小さな祈りですが・・・

雨模様の日々が続いたこの1週間。それでも、四国の水がめ、早明浦ダムの貯水率は今現在75%程。
一方、福岡、大分では記録的な豪雨で大きな被害が出ています。悲しいニュースも耳にします。被害に遭っている方々は不安や疲れで心が折れてしまいそうになるかもしれません。

朝に夕に読む祈りの本に書かれていた祈りに、心を合わせます。

神さま、見守りのうちにおいてください。
すべて、家族や友を離れて遠くにある者
すべて、飢え、凍えて横たわる者
すべて、苦痛を覚える者
すべて、うれいと不安のために眠ることのできない者
すべて、危険にさらされている者
すべて、人々の眠る間も、働き、見張らねばならないすべての者を。

これらのすべての人々に、あなたがおいでになることを覚えさせ、彼らの寂しさに代えてなぐさめを、思いわずらいに代えて平安をお与えください。
(『朝の祈り 夜の祈り』より引用)

| ひとりごと | 19:37 | comments:2 | trackbacks(-) | TOP↑

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『すべてきみに宛てた手紙』

忙しいわけではないけれど、時間があっという間に過ぎていく今日この頃。
寝るのが早すぎるから時間が足りないのかもしれないけれど、もう少しゆっくりと時間が流れてくれたらと思います。

長田弘さん、その名前は知っていたけれど、彼の書いたものを初めて読んだのはつい先日。それがよかったので、今度はエッセイ集を借りてきました。

『すべてきみに宛てた手紙』。

目の前にいない「きみ」に宛てた言葉として書いたという著者。その著者の思いの半分はくみ取れたのではないかなと思うのは思い上がりに過ぎるかもしれないけれど、でも、それほどに長田さんがこの本で語っている言葉が心の奥に染み込んできました。

この本には「きみ」に宛てた39の手紙が載せられています。その最後の手紙に紹介されていた詩が響いてきました。

一つの心が壊れるのをとめられるなら
わたしの人生だって無駄ではないだろう
一つのいのちの痛みを癒せるなら
一つの苦しみを静められるなら

一羽の弱ったコマツグミを
もう一度巣に戻してやれるなら
わたしの人生だって無駄ではないだろう
(エミリ・ディキンソン)


この詩を読んで、真っ先に思ったのが子どものこと。
そして、多分、折に触れて思い出すと思います。この詩を。

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長田 弘

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