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Crescent~小さくても光を受けている。きっと誰かに愛されているから~

本や子ども、聖書のこと、日々の徒然を書きます。トップの画像はその時々で変わります。

2017年09月 | ARCHIVE-SELECT | 2017年11月

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締めはやっぱり・・・

10月も今日で終わり。時の経つのが早すぎます。
朝晩も寒いぐらいなので、我が家では先週末に炬燵をだしました。一度入ると、なかなか出られません。

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寒くなってくると、鍋物が多くなります。今夜はおでんにしたのですが、子ども達がとっても嬉しいことを言ってくれました。
「お母さんのおでんは、出汁から作っているから、美味しいよね」

料理はレパートリーが少なく、苦手なんですが、調味料にはこだわっていてお醤油とお味噌は熟成期間が1年はあるもの、出汁もかつお・昆布・煮干しからとります。そのためでしょうか、へたっぴーな料理でもごまかせるようです。
貧弱なレパートリーですが、それでも子ども達が「美味しいよ」って食べてくれるのは本当に幸せです。


職場で小さい子ども達と接しているので、我が子達が幼かった頃のことをよく思います。そして思うのは、「なんてかわいかったんだろう」って。

そして、もう一つ思うこと。もっともっと子どもとしっかり遊んであげていたら・・・と。子どもが小学校に入るまでは、在宅で入力の仕事やCADで図面修正の仕事をしていたので、子どもの横でパソコンとにらめっこ、という時間が結構ありました。休日はお出かけもそれなりにはしましたが、平日はなかなか・・・。

外で働くようになってからは、日中に自分の時間がとれないから、夕食後に趣味でパソコンに向かう時間も結構あったように思います。

そんなことを思うと、子ども達はつまらなかったんじゃないかなって。そんなことを、今日子ども達に話したら、
「お母さんは仕事をしていたんだし、いいんだよ」って、お兄ちゃん。

子ども達2人とも高校生になり、お兄ちゃんは来春卒業。一緒過ごせる時間は、日々はだんだんと短くなっていくので、いつまで共に過ごせるかは分かりませんが、共に過ごせる時間を大切にしていきたい。


「こんなに一生懸命やっているのに、誰も分かってくれない」と思ったら、「私は、周りの人たちことを分かっているだろうか」と自分に問いかけましょう。分かってもらいたいなら、まず自分が相手の気持ちを理解することです。
という言葉を2~3年前に、ある神父様のブログで読みました。

家事や仕事で忙しかったとき、「誰も分かってくれない」と思うことがありましたが、今日子ども達と話していると、そう思っていたのは自分だけで、子ども達は本当は分かっていてくれたんだなって、しみじみと思いました。

周りの人たちのことを分かってあげることは大切だけど、それと同じくらい、自分が思っている以上に、家族は自分のことを分かってくれている、って信じることも大切なんですよね。理解し合って、信頼しあって、愛し合って・・・。家族ってすてき。


それにしても、10月は結構ブログを更新したなぁ・・・。半分くらいヤマトのことですが。なので、今月の締めくくりはやっぱりこれ!

古代君いろいろ

オリジナルの古代君とリメイク版の古代君

| ひとりごと | 20:37 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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子育てのコスパ?

何年ぶりでしょう、知人が少しばかり用事で手が離せない時に、赤ちゃんを抱っこしました。寝起きで、初めはお母さんを求めて泣いていたのですが、かわいくてかわいくて、ギュッと抱きしめると、だんだん泣き止んで、おでこをちょこんと私の肩にあてくれました。

本当にかわいかった。我が子達が赤ちゃんだった頃を思い出しました。我が子が赤ちゃんだった時、私としてはうんと手をかけていたつもりですし、子育てを楽しんでいました。でも、今のように心のゆとりがもっとあれば、もっともっと子育てを楽しめたのではないかって思いました。

就学前の子どもは特に親の手が必要です。生活をしていかないといけないから、母親も働かなければいけない家庭は多いと思います。

「働くお母さん達を支援します」。私も働く母親なので、そう言ってくれるのはありがたい。
「働く母親を支援する」、そう言われて、真っ先に思うのは、私にとっては、子どもが病気になったり、学校の用事があったりした時に、子どものために時間をとれること。子どもとの時間をよりとれるように、社会がゆとりをもつこと。

でも、それと反対の考えを持つ人もいます。
「働く母親を支援する」なら、夏休みのような長い休み中も子どもをみて、土日も子どもをみて、病気でもみて。
それでは、いつ子どもと時を過ごすのでしょう。

そして、恐いと思うのは、そういう声に応えた支援(システム)を考え、親は時間を気にすることなくどんどん働けるようになり、子どもが犠牲となりかねないこと。するのならば、子どもと共に過ごす時間が増えるような支援をしてほしい。


先週でしたでしょうか、朝日新聞の土曜日版に3人の子どもをもつ30代の共働きの父親の相談が寄せられていました。どういう内容かというと、簡単に言ってしまえば、「子育てはコスパが悪いのでしょうか。子育てのいいところを教えて下さい」。

「コスパが悪いのでしょうか」という、この父親の発言には目を疑いましたが、それに対する答にもちょっと疑問でした。疑問に思った部分を引用します。

三歳児神話なんてウソです。子供はガンガン、託児所やシッターに預けましょう。夫婦二人きりの時間をつくって、「子供のいない仲良し夫婦」と「育児に追われる大家族」のどっちも味わってください。

手を抜ける部分は思いきって抜き、妥協はなにひとつしない。それこそが本当のコスパ追求だと思います。



疲れを覚える時に、子どもを信頼できるところに預けるのは、一つの解決策でしょう。でも、回答者のいうように、「ガンガン子どもを預けましょう」というのは、違うと思う。

子どもを育てるって、大変なことです。だって、人間を育てていくことなのですから、簡単に手抜きばかりでやっていけるはずがない。
子どもは授かった大切な存在。授かった者として責任を持って育てていくのは、人として当たり前のことだと思います。

子育てが本当に大変な時期って、長い人生からみれば、ほんの10数年。人生の1/3か1/4か1/5。特に子どもが大きくなってくると、小さい頃のことが懐かしく思い出されてくるでしょう。

だから、「コスパが悪い」とか「ガンガン預けましょう」とか「休日でも病気でも子どもをみて」とか言わずに、今、目の前の我が子の人生の始まりの時期、土台となる時期を愛おしんで、大切にして過ごしてほしい。

| 子育て・教育 | 19:34 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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楽しもう

嬉しかったこと。またまたヤマトのことですが、

「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」のリメイク版ということで、「宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち」が制作され、公開されています。

オリジナルの「さらば」は勿論好きで(観るのに勇気がいりますが)、リメイク版の「2202」の方も好きです。特に第3章は心の葛藤が描かれていて、何と言っても古代君がいっぱいなので、気に入っています。

ただヤマトの公式サイトや映画レビューを呼んでいると、「2202」は結構酷評されています。そういう評を読むと、単純に楽しんでいる私はちゃんとヤマトを解していないのかと思うこともありました。

でも、ある方がそのブログでされたコメントを読んで、本当に嬉しくなりました。(こちらです~夢時造~
オリジナル・素を語り、「あ~でもないこうでもない」は、解るのですけれど、作り変えたものに、違うというのはちょっと?
出来上がったものは、その人たちの個性で表現をして仕上がったものですから、それはそれで、認めた表現で論評してほしいものです。


私は本当に言われている通りだと思います。
作り手は違うし、リメイク版と言っても、すべてがオリジナル通りではないのだから、違ってくるのは当たり前。
もうないと思っていたヤマトを、きれいな映像で、今、楽しめていることをもっともっと喜ぼう。

楽しみ方は人それぞれ。
私はですね、ただただ古代君と雪が幸せになってくれればいいんです。で、その過程で古代君が悩んだり、落ち込んだり、時には無謀なことをしてハラハラさせてくれたら、もうそれで満足。二人が幸せになる、ヤマトが活躍し、地球が守られる。それで大満足。

だから、ラストはお願いしますね、「古代君、また会えるよね!」って、希望の涙で締めくくれますように。


「2202」ではなく、「2219」ですが、上手に編集されているなって思います。


| 宇宙戦艦ヤマト | 14:11 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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今回もヤマトの話になってしまいました。

youtubeでは色々な映像を観て、結構楽しんでいます。最近はヤマト関連の者を視聴することが多いですが、そのせいでしょうか、リメイク版の古代君の声を演じている声優さん(小野大輔)の映像が出てきたので見ました。彼はCDも出していて、コンサートをするなど、歌の方でも活動されているようです。

アップテンポな歌もあれば、バラード調のもあるようで、いいなと思ったのが、バラード調のこの曲「雨音」


この「雨音」という歌は、亡くなった愛しい人を想う歌ですが、この歌詞のように深く愛されるって、幸せなことだし、こんなに愛することのできる人と出逢えたことも幸せなことなんですよね。

歌っている声は、古代君の声とはちょっと違いますが、こんな風に古代君に歌ってもらえたら、私は溶けてしまいそう。

歌と言えば、オリジナルの古代君の声を演じられた富山敬さんも歌を出されたんですよね。「ステップ バイ ステップ」。勿論レコードもLPも買いました。懐かしいな~って思いながら、ネットを検索していたら、こんな映像を見つけました。

「ヤマト2202」の発進シーンをオリジナルの声優さんにしてるものを。こちらにも感動しました。それにしても、ヤマトが海面から飛び立っていくシーンは何度見てもかっこいい。


| 宇宙戦艦ヤマト | 19:27 | comments:4 | trackbacks(-) | TOP↑

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♪大いなる愛(宇宙戦艦ヤマト)

何度か書いていることですが・・・。

ヤマトは音楽も素適です。ヤマトの音楽の中で一番のお気に入りは「大いなる愛」。「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」のラストで流れる音楽ですが、美しく、壮大で、何度聞いても、あのラストのシーンが思い出され、今でも聞く度に涙腺が緩みます。



台詞の部分は音声がありませんが、ああ、やっぱり泣いてしまう。この映画を観たのは中2の時だったかな。映画館で13回観て、ラストは分かっているのに、観る度に「ああ、古代君が死んじゃう・・・」って涙しながら観ていました。私も周りもすすり泣き。

「さらば」のラストでは、古代君は敵であるガトランティスの巨大戦艦に特攻していきます。でも、私は生きていて欲しかった。だから、「ヤマト2」が作られて、古代君たちが生きぬいてくれて本当に嬉しかったです。

大切な人を守る為に自らの命をかける、そのことは美しいことなのだとは思います。ただ、そのことと死に急ぐことは違う。

それにしても、こんなに泣かせるアニメってあるのでしょうか? 生きていくこととは、愛するとは、そういうことを考えさせるアニメってあるのでしょうか?



この「大いなる愛」の楽譜が欲しい。ピアノで弾きたい。この曲をアルバムで聴いて、耳コピし演奏している動画があります。この指の動きを叩き込んだら、弾けるかな? 弾けるような気がするし、途中で挫折しそうな気もするし・・・。

| 宇宙戦艦ヤマト | 20:24 | comments:8 | trackbacks(-) | TOP↑

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宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち 第3章 純愛篇(6)

宇宙戦艦ヤマト 第3章「純愛篇」、私は好きです。ヤマトに関する記事を読めば一目瞭然ですが、私はヤマトの古代君が好きです。年齢を考えなさい、と言われても好きなものは好き! その古代君、第3章でも大いに主役をはっていて、私は目をハートにして見ていたのですが、オリジナルの古代君と比べると、どこか古代君らしくないなって思うところもありました。

そう感じた部分を的確に表現しているコメントを発見。

「古代なら、雪に言われることもなく、雪もガミラス艦3隻も全部助けに行かないか?キャラが違うぞ!」

↑確かに。オリジナルの古代君なら、2202の古代君のようにズォーター大帝にあのように言われても、縛られることなく、やれることをやったように思います。ただ、リメイク版の古代君は、オリジナルの古代君とは違うから、この古代君は古代君でいいんです。

同じ方の次のコメントにも納得。
古代と雪の再会シーンで古代が「ばかだよ君は」というところからがカットされて、逆に雪が古代に「バカ」と言っているところからも、これからも意図的に情けない古代の姿は描かれると思います。

「ばかだよ、君は・・・」のシーンもあると思っていたので、なかったのは残念です。
雪が偵察機の中で古代君に「バカ」と呟いていますが、その言葉には、「こんな危険なことまでして」というのもあるだろうし、「あんなばかな命令を出して」みたいな思いもあったんだろうなって、今さらながら思っています。

同じ方のコメントで、
ヒーロー古代VS巨大なヒール・ズォーダーのガチンコ勝負が見たかった僕にとっては何とも寂しい話です。羽原監督のいう「2202は古代の物語」・・・

ズォーダー大帝に対する古代君は、第3章では確かに情けなかったところがあるけれど、最終章では旧作のあの古代君のように、きっと言うべき事は言うと思っています。


第3章の古代君は泣きの多い古代君で、そこが寂しいという声もあるようですが、でも、そういう面をさらけ出してくれているというのにも、心ときめくものがあるんですよね。

それにしても、「2202は古代の物語」という言葉、ファンとしてはなんとも嬉しいです。

雪に語りかける古代君


| 宇宙戦艦ヤマト | 19:43 | comments:2 | trackbacks(-) | TOP↑

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受洗の前に・・・

信仰のことです。

大学受験のあれやこれやのなかで、「このことは神様がしてくれたんだね」って、長男にしみじみと語ったことがありました。長男も思う所があったのか、それをきっかけに、自分の意志で教会の礼拝に集うようになりました。そして、受洗したいとの思いをもつようになり、牧師とそれに向けての学びをし始めました。

受洗するまでの流れは、教会によって様々のようです。私が大阪で集っていた教会は、イエス様のことを信じたら、なるべく早い機会に受洗しましょうという考え。

でも、今行っている教会(そこの教会員ではありませんが)は受洗の前に、学び。そして、学びが終わったら、長老と呼ばれる人達と牧師による「諮問会」みたいなのがあって、そこでOKと認められたら、受洗を認められるということです。

その「諮問会」に私は引っかかっています。そういうことは聖書には一切書かれていない、受洗をするのに、誰かの承認がいるというのはおかしいのではないかと・・・。

矢内原忠雄を知ってから、内村鑑三の言う、無教会キリスト教の考えがいいなと思っているから余計にそう思うのかもしれませんが、受洗の認可の前に「諮問会」って、大きな違和感を感じています。

| 聖書・信仰 | 19:16 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち 第3章 純愛篇(5)

雨が強かったですが、朝投票に行って来ました。小選挙区は悩んだのですが、死票にはしたくなかったので戦略的投票をしました。比例区は共産党。今回またNHKの出口調査がありました。


台風の影響で投票率が低いのが気になります。
気にはなりますが、せっかくの休日。やはりもうしばらく余韻に浸りたいということで、ヤマトのブルーレイに収録されていた「オーディオコメンタリー」を聴きました。

その中で、9話はこの2022のターニングポイントになると話していました。2199から2202となって、2202が「さらば」なのか、それとも「ヤマト2」なのか、舵をどっちに向けるかの、その最初の話だと。
また、古代君と雪の偵察機の二人のシーンは「さらば」のあの場面のようでもある、と。

ということは、今後の流れは「さらば」ではなく、「ヤマト2」となるのだろうと、私は思っています。
構成作家さんは「『さらば』のリメイクをお願いします、と依頼されている」と語ってはいますが、すべてを蹈襲することがリメイクでもないし。

また、次のような発言も残しています。

「さらば」を見た今は40代や50代の人が当時と何が違うかといえば、大半の人が家庭を持っているということです。家庭があると「さらば」のように簡単に特攻してはいけないと思うはずです。自分のほかに命と同じぐらい大事なものがあるという状況ができたとき、人が「さらば」みたいな状況に置かれると何をするだろうかということですね。当時は若者としてこれから大人社会に組み込まれていくのは何か嫌だとか、純粋な若者たちがそういうことに「否」を突きつけて特攻していったことに涙したという構造があったわけですが、今は自分たちが大人になってしまっています。もし自分がいなくなったら残されたものはどうあるのかと考えたとき、簡単に「ノー」と言って突っ込んでいくわけにはいかないんですよ。そういう面からも、人間はどこまで抵抗できるだろうということには興味を持っていただけるし、子どもの側から見た当時と、大人の側から見た状況が合わさってはじめて、当時「さらば」を見たことの意味が完成するのではないかと、そういう風に作っているつもりです。
(記事元こちら)

「さらば」が当時の言葉で言うところの「ヤング層」の胸を打つように作られていたんだとしたら、今回は今の主体となっているお客さんたちの胸をえぐるものにしなければいけない。そうなることで必然的に変わっていくことがあります。「死んだほうがマシ」っていう難題であったり、自分の魂を裏切るようなことを強いられたり、いろんなことを経験していく中で、でも最終的に「生きていることには価値がある」って思えるようなものを見せていくことですよね。
(記事元こちら)

こういった言葉を聴く限りは、結末は「さらば」にはならない、きっと。(と自分に言い聞かせる)

これからも数々の艱難辛苦にヤマトは見舞われるようです。その中でどんな決断をし、行動に移していくのか、どう乗り越えていくのか、見守っていきたい。かなりドキドキしながら観ることになりそうですが、ヤマトのテーマでもある「愛」をしっかりと味わっていきたいです。



第9話で、偵察機に雪と二人でいる時、古代君には助かったという認識はなく、このまま闇に飲まれて消えていくと思っていたとも話されていました。そう思っていたから、あの場面でのプロポーズでもあったのかもしれません。

二人は助かるのですが、その時の様子がこれ。
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この映像を観た時、雪は微笑んでいるけど、古代君の驚いたような表情に?でした。
その古代君の表情の理由が分かりました。制作者さんの話では、古代君のあの表情は、
「ありゃ? 俺、こっから再スタート?」 だそうです。

そして、その後、古代君が眠っているシーンがあるのですが、私は精神的疲労のため眠ってしまっただけだと思っていたのですが、そうでもなかったようです。制作者さん曰く、

「男はショックを受けた後、、、このように気絶する!」。

| 宇宙戦艦ヤマト | 18:43 | comments:4 | trackbacks(-) | TOP↑

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宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち 第3章 純愛篇(4)

台風が近づいてきていますが、待っていた休日。午後から「宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち 純愛篇」ブルーレイ、5回目を鑑賞しました。そして、夜、子ども達が観たいと言うので、6回目を鑑賞。一体何回観たら気がすむのか・・・。旧作の「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」は映画館で13回観たことを考えたら、6回の鑑賞なんて、まだまだかな。

この第3章、レビューを読んだら、結構酷評されています。思いは人それぞれですが、私はとても好きで満足しています。

この「純愛篇」の中で、古代君は敵のガトランティスのズオーター大帝に「お前の愛を示せ」と、ある選択を迫られます。どんな選択かというと、

ヤマトはある惑星でガトランティスに襲われた民間人たちを救助しました。その民間人達を地球に送り届けるために、3隻の艦に民間人を乗せます。そのうちの1隻に森雪(古代君のフィアンセ)が乗っています。

その3隻共に、ガトランティスが送り込んだ蘇生体(人間爆弾)を一人ずつ乗り込ませていることを、ズオーター大帝は古代君に告げます。そして、古代君が選んだ1隻だけを助けるから、1隻を選べと。

古代君は苦悩します。森雪が乗る1隻を選ぶこと、それは他の2隻を見捨てることになるし、ズオーター大帝が言う「愛、それはエゴ」というこの証明にもなってしまう。

その古代君の苦悩を知った雪は、苦悩の原因である自分を選択肢から取り除くため、艦から身を投げます。それを見た古代君は「俺は選ばない」と叫び、雪を助けに行きます。その結果、いろいろあって、雪も民間人を乗せた3隻の艦も助かります。


雪が身を投げなくても、古代君は雪の乗った艦を選んだと思います。愛する人が死にゆくのは耐えられないから。愛する人を大切にしたいから。愛する人のことを想ってなした古代君の選択は、決断はエゴではないと私は思います。エゴから出たものであるなら、そこに後悔や苦しみ、罪を背負うことになっても、それを自分は負うというような覚悟は生じないと思うから。

このズオーター大帝はこんなことも古代君に語っています。
「国のため、家族のため、信念のため、愛ゆえに奪いあい、殺しあう人間達の無惨は見るに堪えない。」
「愛ゆえに人は死に、星は壊れ、宇宙は滅びる。」

大帝の言葉を聞くと、彼は愛とエゴを取り間違えているのではないかと思います。古代君は大帝の圧倒的なオーラに、その挑発に乗せられてしまいましたが、ヤマトの旅が続くにつれ、大帝の言う「愛」は間違っていると気づくのではないでしょうか。そして、「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」でのように、大帝に反論するのではないか・・・。

違う! 断じて違う! 宇宙は母なのだ。そこで生まれた生命は、全て平等でなければならない。それが宇宙の真理であり、宇宙の愛だ。お前は間違っている。それでは宇宙の自由と平和を消してしまうものなのだ。俺たちは戦う。断固として戦う。


この台詞を思い出して、久しぶりに「さらば」の映像をyoutubeで見ました。何回見ても泣けます。


| 宇宙戦艦ヤマト | 22:55 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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学力差というもの

長男は高校3年、受験生。一応大学進学を希望しています。志望大学の受験科目に小論文があります。しかし、書くことが超が幾つもつくほど苦手な長男。そのため、高校や塾で小論文指導をしてもらうことになりました。

その第1回目の課題が「収入の高低差による学力差について、思う所を述べよ」というもの。
長男は学力差をなくすためにどうすればいいかについて、思う所を書いていました。長男の書いていることは、学力差をなくすためにどうすればいいかでした。

学力差を極力なくすことは、大切なことかもしれません。では、「どうして学力が問題になるの?」と長男に質問したら、「将来自分のやりたいことをするために学力があるほうがいいから」と答えました。

学力は無いよりはある方がいいです。ただ、学力だけで測られる社会に問題はないのか。
学力=学校の勉強、がよく出来る人がいれば、勉強は出来ないけれど、手先の器用な人、運動の得意な人、絵が上手い人等勉強(所謂英数国理社)以外の事が得意な人もいます。そんな子ども達も、学力のある人とも同じように認められる社会。

子ども達に、「ここまで頑張れ」と言うだけの社会ではなく、社会のほうも「こういった部分は改める」、そんな態度が必要なのではないか。

また、学力が高い=能力が高い、そういう人たちを優遇するだけの社会ではなく、学力では測れない、人として正しく生きているか、そんな姿勢をちゃんと認める、そんな社会になることも大切なのでは・・・。


10/17に掲載されていた朝日新聞「折々のことば」。

学校制度はチャンスを平等にしたのではなく、チャンスの配分を独占してしまった
(イヴァン・イリッチ)

学校は、生まれ落ちた境遇とは無関係にすべての人に開かれたものとして設計されたはずなのに、人を「能力」という単一の物差しで測ることで、人を選別する装置と化した。学校が学びを独占し、地域社会のもつ教育の力はやせ細っていった。(後略)



人は一つの物差しでは測れない。問題なのは「学力差」だけではないんですよね。

| 子育て・教育 | 23:05 | comments:2 | trackbacks(-) | TOP↑

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