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『生かされて』

『生かされて』という本があるブログで紹介されていて、興味を引かれたので読んでみました。
生かされて。 (PHP文庫)生かされて。 (PHP文庫)
イマキュレー・イリバギザ スティーブ・アーウィン 堤 江実

PHP研究所 2009-07-01
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1994年、ルワンダで大虐殺が起こりました。100日間で100万人のツチ族が虐殺されたと言われています。この本は、その虐殺の中、牧師の家の小さなトイレに身を隠し、奇跡的に生き延びたツチ族の女性が書いたものです。

読みながら、彼女の姿勢にフランクルに通じるものを感じました。希望をもつことの大切さを。

小さなトイレに彼女を含め4人がいました。そこで3ヶ月近く身を隠し続けました。フツ族の人たちが牧師の家にやって来てはツチ族がいるのではと捜しまわる時も度々ありました。そんな状況の中でも彼女は希望を持ち続けました。

「私は神様が、私たちツチ族をただ虐殺されるためにお創りになったと信じるのは耐えられません」
「生き残るためには、希望が必要です。自分自身を哀れんだり、疑ったりしている暇はない」


そう彼女は考え、「解放されたとき、自分は国連で働くのだ」と強く思い描き、狭いトイレの中で英語の勉強を始めました。
そして、その彼女の意志は実現し、解放後、国連で働くようになりました。


何よりも感銘を受けたのが、虐殺をしたフツ族の人たちを「赦す」という彼女の強い意志です。

彼女はこの大虐殺で両親と二人の兄弟を失いました。彼女の家族も、他のツチ族の人々も残酷な方法で命を奪われました。それを思うと、憎み続けても誰も彼女を責めませんし、当然の感情です。

でも、敬虔なクリスチャンである彼女は、「神様の目には殺人者たちさえ、愛と赦しを受ける対象。神の子どもたちを愛する気がないのならば、神の私への愛も期待することはできない」と殺人者達を赦せるように、祈り続けました。トイレの中に隠れているときから。

「赦せない」と思った時もありました。そんな時、彼女は赦せない自分であることを神様に許しを乞い祈りました。そして、「憎しみは、油断をすれば、いつでも表面に浮き上がってこようと待ち構えいる」と、「赦す」ことを選び取りました。


ルワンダだけでなく、シリア、アウシュビッツ、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争をはじめとし、世界には他にも私たちの知らないところで多くの尊い命が理不尽に奪われましたし、今もそうです。

あるいはまた、自然災害で。

命を失う人もいれば、生かされる人もいる。そして、思います、命を失った人はどうなのか・・・と。失った人は運が悪く、生かされた人は運が良かったのか? いやいや、人の命は運が良いとか、悪いとか、そういうレベルのものではないはず。


そんなことを考えていたとき、今までもやもやしていた聖書のある箇所を通して、答の一つを頂けたような気がしています。

どういう箇所かと言うと、
復活されたイエス様が弟子のペテロに後々にペテロに起こることを告げます。それを聞いたペテロは同じく弟子のヨハネを見て、「彼はどうですか?」とイエス様に聞きました。

そしてイエス様は答えました。
「私の来るまで彼が生きながらえるのを私が望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたは、私に従いなさい」

私たちはお互い関わり合い、助け合いながら生きています。生きていく上ではそうですが、命というか寿命ということは、人ではなく、神様の範疇のこと。

「ある人のことが気にかかるのはわかるけれど、その人の命のことは、私と彼との間のこと。あなたは、あなたのなすべきことをしなさい」
そうイエス様は言っているのだと。人が関われることではないのだと。

神様の範疇のことは神様にゆだね、自分ができることは、やるべきことは精一杯する。そういうことの積み重ねが、いざという時の言動に現れ出てくるのだと思います。


気軽な気持ちでは読めませんが、おすすめの一冊です。

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