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Crescent~小さくても光を受けている。きっと誰かに愛されているから~

本や子ども、聖書のこと、日々の徒然を書きます。トップの画像はその時々で変わります。

2018年02月 | ARCHIVE-SELECT | 2018年04月

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受けて、与えて

今日で3月も終わり、明日から新年度が始まります。
今日は久しぶりに子ども達と近くの公園へ行きました。桜が満開で多くの人が訪れていました。

4月には大学生になる長男、高校2年生になる次男。過ぎ行く時の早さが身に沁みます。
息子達が生まれ、幼稚園に行くようになって、発達障がいのあることが分かりました。当初は「どうして?」という思いがあり、涙したことも何度かありました。

でも、意味の無いことではなかったと、これははっきりと言えます。
何人もの人に支えられ、助けられてきたように、十分ではないかもしれないけれど、私もちょっぴりは誰かの役に立てる。順繰りなんですよね。支えられ支え、助けられ助け・・・。

与えることも、受けることも、それは同じように幸いなこと。受けるから、与えられる。
子どもを通して、そのことを実感しています。

| ひとりごと | 22:13 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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In memory's bouquet

毎朝ラジオ英会話を聴いていて、今日は今のメンバーで最後のレッスンということで、愛の歌が紹介されました。その歌詞がとても素適でした。

Thanks a million, a million thanks to you
For everything that love could bring you brought me
Each tender love-word you happened to say
Is hidden away
In memory's bouquet
Thanks a million for I remember too
The tenderness that your caresses taught me
You made a million dreams come true and so I'm saying
Thanks a million to you

それではここで百万回ありがとう 百万の感謝をあなたに
愛がもたらすすべてをあなたが私にくれたから
あなたが無意識に言った愛の言葉のひとつひとつが
しっかり隠されています
思い出という名の花束に
百万回ありがとう 私も忘れていませんから
あなたの抱擁が教えてくれた優しさを
あなたが百万の夢を叶えてくれたから 私はこう言います
あなたに百万回ありがとう


こんな言葉が大好きです。
特に気に入ったのが、「In memory's bouquet 思い出という名の花束」。

思い出という名の花束。この言葉に、昨夜のことを思いました。
昨夜あることがあって、本の話になりました。その時に、「お母さんが一番よく読んだ絵本って何か覚えてる?」と聞いたら、次男が迷うことなく、その絵本を持ってきました。

『いつまでも好きでいてくれる』
いつまでもすきでいてくれる? (児童図書館・絵本の部屋)いつまでもすきでいてくれる? (児童図書館・絵本の部屋)
マーガレット・P. ブリッジズ メリッサ スウィート

評論社 1999-09-01
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この絵本を久しぶりに子ども達に読みました。読んでいると、胸が熱くなって、こらえきれず、読みながら泣いてしまいました。
長男は主人にこっぴどく怒られた後だったのもあるのですが、長男も泣いてました。号泣にちかいくらいに。


子ども達に、もっとああすればよかった、こうすればよかったと思うことはよくありますが、そういう中にも、一冊の絵本であの頃に帰れる、優しい気持ちになれる、そんな思い出を共に持っている・・・嬉しいです。


『いつまでも好きでいてくれる』・・・百回以上は読んでいるので、本はかなりくたびれています。でも、その分、この本を読んであげていたときのあの光景は今でも鮮明に覚えています。


この絵本で一番好きなフレーズがこれです。

(子ども)「(ぼくが)えほんに なっちゃったら?」
(お母さん)「きっと よむのが やめられないわ。」・・・・・・
     「ママは ぼうやが だいすきですよ。 いつも いつも いつまでもね。」


子どもが幼かった頃は、最後の言葉の後に、いつもムギューッと抱きしめて、そして「おやすみ。」

| 子育て・教育 | 19:15 | comments:6 | trackbacks(-) | TOP↑

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カヌー型の家族

子どもが誕生してから、子育て、子どもに関する本を色々と読んできました。子どもができるまで、子どもには関心はあまりなく、よく分かりませんでした。

結婚で近畿から四国にやってきて、すぐ近くに頼れる人もいなかったので、子どもを育てていくのに、参考になるものがほしかったです。


イギリス人宣教師のパトリク・マケリゴットという方が書いた『大きな緑の木の下で』に書かれていた一節。

「車型の家族にはならないで、カヌー型の家族になってください。」

車はただ乗っているだけで、何の協力もしなくても目的に着ける。でも、カヌーはみんながパドルを持ち、責任分担し、力を出して漕がないと目的地に着けない。

家族というのは協力し合っていくべきもの。それなのに、現在の家庭の中には、勉強に対する責任を果たしなさいと言いながら、自分の家庭における責任である努力、協力を教えないことが多くあるのではないかと懸念しての言葉です。

この本を子どもがまだまだ小さかった時に読み、カヌー型の家族を築いていきたいと願いました。そして、長男が大学入学を目前にした今、我が家はどんな家族になっているのか。願ったカヌー型の家族では、ないかな。と言って、車型でもない。


もしもあるとしたら、3人乗りの自転車。私が前で、子ども2人が後ろで漕いでいる、そんな感じ・・・。父親は何をしているかと言えば、向かい風になったり追い風になったりしているような、そんな感じ?

| 子育て・教育 | 19:08 | comments:2 | trackbacks(-) | TOP↑

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桜が咲き始め・・・

年度末で少しばかり忙しいこの時期。長男の大学進学への準備でも忙しい。
あと1週間もすれば大学生。しっかりとアルバイトもしてもらわないといけないのですが、大学の方針として5月まではアルバイト禁止。ですので、アルバイトをするまでは、毎週末家に帰ってくると言っている長男。嬉しいです。

前回ブログに、長男に何か言葉を贈りたいと書いたのですが、かしこまって何かをするのもいいけれど、普段通りが一番落ち着けるのですよね。

日曜日、長男が珍しく朝早く起きてきて、一緒に聖書を読むことができました。長男と二人だけの時間をもてたのは、かなり久しぶりで、嬉しくて、なんとも心地よい時間を過ごせました。高校の3年間は大学受験があったので、「共に過ごす時」をあまり持てませんでした。でも、大切なんですよね、そんな時を持つこと。

長男と聖書を読んでいるときに、ふと思ったこんな言葉。

現代人は有益なことを知ろうとして多くの本を読もうとする。・・・しかし私たちには、別種の道も開かれている。・・・書物に記されている言葉を知るのではなく、生きてみることだ。(『言葉の羅針盤』若松英輔著より)

聖書は特にそうですが、本には目の開かれるような言葉、教えられる言葉がたくさん記されています。そんな心の琴線に触れる言葉を、生きるというか、そのように生きようと私はいったい、どれほどできているのだろうか。・・・そう、結局は同じ地点にきてしまいます。

でも、足りない所はいっぱいあるけれど、子どもを愛するその思いは揺るぎません。それが子どもにはきっと一番。


家の前の空き地の桜に花が咲き始めました。入学式の頃には満開だろうな・・・。
桜

桜2

これは↓桜ではなく、桃なのでしょうか? 
梅かな

| ひとりごと | 17:07 | comments:2 | trackbacks(-) | TOP↑

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変わりゆく日々

最近ちょこちょこと忙しい。長男の進学先は県内の大学ですが、通うには遠いので大学の寮に入ります。そのための用意で週末はあっちに行ったりこっちに行ったり、私にしては珍しく忙しい週末を過ごしています。

また、もうすぐ寮に入る長男と過ごす時を大切にしたいと、パソコンを使うのをなるべく我慢しています。

少しずつ少しずつ、物事は変わっていきます。それが生きているという証でもあるのですが、その変わりゆくことに、戸惑いを覚える私がいます。

人生にはいくつかの、開かなくてはならない扉があるようで、そうした出来事を経るたびに人生の光景は違って見えてくる。
あるときまでは、自転車に補助輪をつけて走っていればよかった。しかし、何のまえぶれもなく、ひとりで、未知なる道を走らなくてはならない日々がやってくる。

時が来れば、卵がおのずと殻をやぶるように、私たちもまたそれまでいた場所から一歩外に出なくてはならない。
また、人生の荒波という表現があるように、生きるとは、海のような場所をどうにか漕ぎ渡ろうとすることでもあるのだろう。人生の海にいると方角が分からなくなることがある。地図を持たない旅人のようになる。

そうしたとき、私たちを助けてくれるのが言葉だ。言葉が、人生の羅針盤になる。
(『言葉の羅針盤』若松英輔著より転載)


そして、長男は多分、私よりも戸惑いを覚えていると思います。
そんな長男に、私はどんな言葉を贈ることができるだろう。

借り物の言葉ではなく、私の心の奥深くに佇んでいる、そんな言葉を贈ることができたら・・・。
(そんな言葉があるかどうかが、怪しいところでもあるのですが・・・)

| 子育て・教育 | 20:22 | comments:4 | trackbacks(-) | TOP↑

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今の政治に・・・

森友学園の文書改ざんがあったと報道がありました。それを受けて、この国の首相と財務相の談話を見ましたが、ほとんど責任を感じていないように感じました。二人の映像を見て、憤りは強まる一方です。

若松英輔さんがこんなツイートをしていました。

0313若松

若松さんの仰る通りだと思います。「森友」問題に関して、彼らの言葉を扱う姿勢は醜いと私は思います。言動に誠実さの欠片もない。

こんなヒト達に、国の舵取りを任せていいはずがないと私は思います。
自分たちの言動に、苦しくならないのでしょうか。良心に苛まれないのでしょうか。


財務相が「政治家に忖度があったのではないですか?」と聞かれて、「そういうものはなかったと思います」というような返事をしていました。

「忖度がありましたか?」と権力が上の方の者に質問すること自体がおかしいのですが、「忖度があったか、なかったか」それを判断するのは下位の者です。財務相の立場にある者が「忖度はなかった」と言うことのおかしさが、どうして分からない?


若松英輔さんはこんなツイートもされていました。

0313若松2

人として大事なことは何か、守るべき事は何か、何をしたらいけないのか、そういうこともちゃんとしっかりと子どもに教えていく。
今のこの国の首相や財務相を見ていたら、そういったことがどれだけ人として大切なことか強く強く感じました。

| 世の中のこと | 20:15 | comments:2 | trackbacks(-) | TOP↑

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東日本大震災から7年

東日本大震災から今日で7年。3月11日が近づいてくると思い出すけれど、あとの日々はどうだろう?

facebookで岩手県に住む漁師の方が現状を書いていました。転載します。

おはようございます。
今日は、あの東日本大震災からまる7年目の命日です。私とすれば、「不安と焦り」ばかりが、頭の中から離れなかった。それは、漁師とて再建はしたが、大不漁で、預金も底をつき、生命保険など全て解約し、船の負債を返済してきた、そう貧乏になった苦です。それが頭から離れなかったのです。だから、大きなストレスの7年間でした。今も不眠状態は治りません。「お金のことで不安」と答えてる被災者は8割以上のもいる現実です。個人経営者の店など、人が分散して再建すらできていないのす。雇用の場もないのです。復興工事では、60歳以上で未経験者は採用されません。7歳高齢化し、更に所得を得るのが難しなっている。これが現実なのです。
テレビでは、美談しか報道しません。被災者の心の不安と焦りはなんなのか。その課題に迫る報道は皆無です。
今日は、慰霊の日です。 どうか、みなさん。今日の1日の中で、手を合わせて東北に向かって亡くなった2万人以上の方々を冥福を祈っていただいきたいのです。
東日本大震災はまだまだ現在進行系で課題が山積みです。


新聞に被災した人たちの声が掲載されていました。紙面にあったのは頑張っているよ、という声ばかり。これを読んだ時は、その明るい響きにほっとしました。

でも、この漁師の方の記事を読んで、皆が皆そうではなく、不安が募るばかりの人たちも、今なお多くいらっしゃると分かりました。
今なお、行方不明の人たちが2539人(朝日新聞によると)。


今まで数回リンクしていますが、今日もリンクします。



全文はこちらで読めます。→ 7頁目が答辞全文です。

私に何ができるわけではありません。
ただ、忘れてしまうことだけはないように、
苦境にあっても、天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていけるように、
「あたりまえ」に思える日々や家族、友を大切にし、いとおしんで過ごすように、
忘れがちですが、心に覚えていきたい。

| 世の中のこと | 16:11 | comments:2 | trackbacks(-) | TOP↑

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『ありがとう、あなたへ』

ドイツ人のホイベルス神父の「最上のわざ」という祈りがあります。その中で、「この世で最上のわざは、祈り」とあります。
粕谷甲一神父が「けれども、祈りも出来なくなったらどうするか。例えば認知症になったら?」とある本に書いていました。


阿南慈子さんという女性がいらっしゃいました。健康だったのですが、結婚してお子さんが2人生まれてしばらくして、31歳の時に多発性硬化症という難病に罹ってしまいました。目が見えなくなり、足が動かなくなり、首から下の感覚は全くなくなり、口もほとんど動かなくなり、だんだん呼吸も困難になっていきました。その方がこんな言葉を遺しています。

自分が生きている値打ちは、苦しい模索の末に、私なりの結論が出た。それは人への愛と、神への愛(祈り)。・・・・・・

人への愛と神への祈りは、病気にも障害にも決して邪魔されることはない。でもこれら心の姿勢、精神性を最上のものとすればするほど、それを抱きえない場合はどうなるか。病気によってそういう状態に私もなるかもしれない。実際そうなって、この世を去っていった難病の共が何人もいる。また精神・知的障がいのある人や、老人性痴呆症の人の存在価値は?

それを考えると、私は結論を改めよう。人への愛と神への愛(祈り)、このたとえようもなく貴重なものが消え去っても、なお神からの愛がある。神はすべての人の魂を愛しその幸せを望んでおられる。だから私にとって存在の価値は、「神の愛」 「神に愛されていること」ただそれだけ・・・・・・。



祈ることすらできなくなっても、記憶や知恵や知識をすべて神様にお返しすることになったとしても、自分自身のことさえ分からなくなったとしても、神から愛されている。

存在価値は「神の愛」 「神に愛されていること」ただそれだけという慈子さんの言葉にうたれました。

彼女は他の著書で次のようにも書いています。

人の目には価値なき者に見えるかも知れない私でも、神に愛されていることを知っているから、こんなに幸せ。人の目には価値なき者に見えるかも知れない私でも、神に愛されていることを知っているから、こんなに幸せ。

「神に愛されている」。私も、そして周りの人も。そういう目で見ることが難しい時もあります。でも、難しくても、神様の愛に変わりはないんですよね。


慈子さんは足が動かなくなった時に、「足の思い出」としてこんな詩を書いています。最後の部分だけ転載します。

二度と再び立てないだろう 私の足

でも 悲しむことも 泣くこともない
神様 33年間 丈夫な足をありがとう
沢山の 素敵な足の思い出をありがとう
足を 今御手にお返しします

これからも 元気で明るく残してゆこう
車椅子の思い出を・・・・・・


「強い」ってこういうことを言うんですよね、きっと。

ありがとう、あなたへありがとう、あなたへ
阿南 慈子

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| 聖書・信仰 | 20:40 | comments:2 | trackbacks(-) | TOP↑

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怖れていたことが

今日はとてもショッキングなニュースがありました。
森友疑惑で近畿財務局の男性職員が自殺したとのニュース。新聞で森友関連の記事を読むにつけ、もしかしたら誰かが犠牲になるのではないかと怖かったのですが、現実となってしまい、とてもショックです。

私は今の政権を全く信用していません。この政権をこのまま居座らせてはいけないとも思います。あまりにも酷すぎる。

政治って、その国の人のためにするものでしょ?
その国に暮らす人たちが、安心して、普通に生きていくことができるために、なにをすればいいか考えなければいけないでしょ?

そして、国のリーダーとしてやっていくなら、人として恥ずかしくない振る舞いをしなければいけないはず。

なのに、今のこの政権がしていることは何?
考えるのは自分のこと、自分のお友達のことだけ。そのためには、一般の人がどうなってもいい、というようなそんな態度。


そういう人たちは国会の中では一握りと信じたい。
そして、真っ当な人たちが恐れず立ち上がって、間違っていることは間違っていると、言ってほしい。
間違いを改めて、正しい方向へと舵を切ってほしい。
せめて、三権分立の守られる国に戻してほしい。


3年程前に読んだ『言論抑圧 矢内原事件の構図』より。

現実の国家が正義や理想に反する場合は、これに異議申し立てをすることこそが「真に愛国的」であると矢内原忠雄は言います。
でも、自分たちは現実の事情に通じているわけではないから、政策の是非正邪を判断できないという人たちもいる。しかし、政策の是非正邪を判断する基準は、現実の事情にしかないわけではなく、むしろ、そうした判断を可能にするのは国家の理想である、と言う。そして、こう書いています。

「無批判は知識の欠乏より来るのではない。それは、理想の欠乏、正義に対する感覚の喪失より来る。」

| 世の中のこと | 20:39 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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ヤマト5章

朝日新聞の投稿欄に掲載されていたことについて書こうと思ったのですが、「宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち 第5章」の情報を知ったので、変更。

5月公開予定の第5章のPVが先月末にアップされていました。全然気がつかなかった・・・。



PVに古代君はちょこっとだけ。
5章 古代君

あとはほとんどデスラー総統かな・・・多分。↓これは、デスラー総統の幼い頃?
5章 デスラー

これは誰? エーリク・ヴァム・デスラー大公?(ヤマト小説から推測)
5章 誰

第5章ではデスラー総統の生い立ちがあきらかにされるのでしょうか。もしかしたら、スターシヤも出てくるとか?

ヤマトとデスラー艦が並んで飛び立っていくシーン。この後、闘いへと突入していくの? それとも・・・?
5章 ヤマト


PVの最後のデスラー総統の言葉;
「テレサに呼ばれた者は、あるべき未来に向かって為すべきを為す」

「あるべき未来」がガトランティスによる支配ではない、とデスラー総統も分かっているだろうから、ヤマトと正面切って闘うとは思えない。でも、デスラー総統にとって、あるべき未来とは、ガミラスが宇宙を支配するということだと思うので、となると、やはりヤマトは邪魔になるのかな?

でも、やはり最後には古代君との関係は、オリジナルヤマトに近いものになりそうな気がします。
4-エンディング2

| 宇宙戦艦ヤマト | 19:16 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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