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Crescent~小さくても光を受けている。きっと誰かに愛されているから~

本や子ども、聖書のこと、日々の徒然を書きます。トップの画像はその時々で変わります。

2018年12月 | ARCHIVE-SELECT | 2019年02月

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宇宙戦艦ヤマト2202 第7章 予告編!

 来ました! 宇宙戦艦ヤマト2202 第7章の60秒予告編! 待ってました。




 予告編を見ると、土方艦長、徳川機関長、斎藤隊長は「さらば」と同じように戦士と思われます。もしかしたら、キーマンも? キーマンの戦闘機が炎上しています。

7-15キーマン



 ヤマトも集中砲火を浴びています。

7-04ヤマト


 そして、古代君!

↓ 「どちらかが選ばなければ。引き金をひかないという道を選ぶということを」とミルに訴える古代君。

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↓ 「トランジット波動砲発射」と命令する古代君

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↓ 土方艦長の 「次の艦長は君だ」 の言葉を受けての古代君。
7-07次の艦長

↓ おそらくガトランティスに潜入し、大帝と対峙しようとしている?
7-08.png


↓ 「土方艦長の命令を決行する!」と叫ぶ古代君。
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7-10命令を

↓ ものすごく気になるシーン。また雪が傷つく?
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↓ 古代君と雪・・・これはラストのほうのシーンかな?
7-01.png


 ヤマト2202 第7章 最終章公開まであと1ヶ月。ラストが気になって仕方がありません。今からもうドキドキしています。ほんとどうなるのでしょう。

| 宇宙戦艦ヤマト | 19:38 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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家族

Nizar Ali Badrさん

 前回書いた Nizar Ali Badrさんはfacebookをしていて、ダメ元で友達リクエストを送りました。アラビア語はできないので、英語でメッセージを送ったのですが、「いいよ」の返事が返ってきました。でも、残念なことに、彼の友達が5000人を超えてしまっているので、友達に追加することはできませんでした。でも、彼の投稿を自由に観ることができるので、それでいいかな。

 Nizar Ali Badrさんは返事と一緒に、彼が作った作品の写真をいくつか送ってくれました。そのうちの一つだけアップします。

stone.png

ハート型の石。これは削ったのでしょうか。右上の赤い石は自然のままなのでしょうか。

次の写真は『石たちの声がきこえる』の外国版。色んな国の言語で出版されているようです。

stone2.jpg


 彼のfacebookに投稿されているコメントを読むと(ほとんどがアラビア語なので、自動的に翻訳されたものなので、かなり不自然な日本語になってしまいます)、「シリアの平和を祈る」 「神はシリアを見捨てない」というようなコメントが結構あります。その願いが祈りが現実になるようにと祈るばかりです。

里中満智子さん

 今日1/29の朝日新聞の文化・文芸欄に里中満智子さんの連載エッセイが掲載されていました。彼女のご両親はとても仲が良かったそうです。里中さんは次のように書いていました。

 父が帰ってくると、母が真っ先に玄関で出迎えて「寂しかったわあ」と独占してしまう。私がダッシュで行っても間に合いませんでした。

 母親は父親のことを心から愛していました。毎日帰ってくるたび、うれしそうだった。


 私の場合、全くこんなことはなくて、どちらかというと、「もう帰ってきたん?」みたいな思いがないこともない。でも、この里中さんのご両親の姿に、こんな両親の姿は平和への礎石だなって思いました。



 お互いがお互いを思いやり、優しく包んでいくなら、苦々しい思いは、そうそう入り込めないのではないでしょうか。

 家庭の姿、そこで交わされる言葉、態度、思いって大切に育んでいかなければと、改めて思いました。


 

| ひとりごと | 19:15 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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心揺さぶられた絵本

 近くの図書館に立ち寄って、偶然目にした絵本、『石たちの声がきこえる』。初めに背表紙のタイトルだけを見たときは、手に取るつもりはありませんでした。他の絵本を何冊か手にとって読んだのですが、その絵本がなとなく気にかかりました。絵本が呼んでいる、と言った方が正確かもしれません。

 そして、手にして、読んでみたら、心揺さぶられました。



 表紙をめくると、まず「平和を力で保つことはできない。平和はただ分かり合うことによってのみ、実現されうるのだ」というアインシュタインの言葉で始まります。

 この絵本の絵(絵と言うのはせいかくではありませんが)は、石でできています。今もシリアに住んでいる画家がシリア難民の様子を石で、全て石で表現しています。既に借りている本が上限に達していたので、この絵本を借りることはできなかったので詳細まで覚えていません。でも、そこに表現されている石の色んな表情から、作者の思いがひしひしと伝わってきた、その心の震えは今も鮮明です。

 平和への思いが、ずっしりと伝わってきます。

 この画家の方に関して少し調べてみたら、この方のサイトがありました。こちらです。

 facebookもされています。「Nizar Ali Badr」で検索すると、彼が石で作った作品をみることができます。その中の一つだけ拝借しました。

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 youtubeでも彼の作品がアップされています。




 本自体も素晴らしいものでしたし、少しでも役立つのではないかと思うので、この絵本を購入するつもりです。
 シリア難民は今も増え続けています。自分たちの国に、家に戻れる日が来ますように。

| 本・絵本 | 20:02 | comments:4 | trackbacks(-) | TOP↑

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気を引き締めて

 伊集院静氏が「仕事とは何か?」という問いに対して、次のように書かれていたそうです。

 仕事とは何か。答は簡単です。朝に目が覚めて、まず最初に考えること。それが即ち、その人の仕事なのです。

 農業を営む人は、目が覚めるとまず今朝の気温はどうだろうか、と考えます。畑に霜が降りていないだろうか。作物は大丈夫だろうかと。また、漁師たちはまず考えます。教の風はどうだろうか。海は時化ていないか。船を出せるだろかと。

 ・・・それが彼らにとっての仕事、生きる上で一番大切なことだからです。合うとか合わないとか、やりたいとかやりたくないとか、仕事とはそういう基準で測るものではありません。生きていくためにやるべきこと。家族を守るために続けていくこと。それが仕事というものなのです。


 生きていくためにやるべきこと。誰かのためになること。そういう思いで仕事をしているかと言えば、ちょっとあやしいです。そういう曖昧さが駄目なわけではありません。でも、仕事をするのならば、しっかりと思いを持って取り組んでいこうと、忘れかけていたことを思い出すことができました。それは、目にした一枚の用紙から。

 ある所の教育長が替わりました。
 その教育長さんが、ある教育関係の職場のトップになって、その職場の雰囲気が良い方向にガラッと変わったと聞きました。どんな方かしらと思っていたら、その教育長さんの書いたものを読む機会があり、職場の雰囲気が変わったという、その話は本当だと確信しました。私もまた、その方が書いたものを読むことで、心を引き締められたから。

 その教育長さんは、毎日A4版1枚に自分の考えを述べたり、情報提供をしてきたりしていて、これからも同じように発信を続けていきたいと書いていました。

 A4版の用紙だと、1500字ぐらいになるかと思いますが、それぐらいの量で毎日、自分の思いを書くというのは、私にはとてもできそうにありません。

 でも、考えてみれば、日々何かを感じ、思い、考えているはずで、そういうのを言葉にできないということはないはず。せっかく日記をつけているのだから、単なる記録にとどめず、思いや考えを、もう少し深くしたためていきたいなと思います。

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| 心に響いた言葉 | 21:31 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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樋口了一さんの歌

 前回「老い」に関する事を書きました。「老い」のことを思う時、樋口了一さんのこの歌を思い出します。



あなたの人生の始まりに 私がしっかりと付き添ったように
私の人生の終わりに少しだけ付き添ってほしい

あなたが生まれてくれたことで 私が受けた多くの喜びと
あなたに対する変わらぬ愛を持って笑顔で答えたい
私の子ども達へ 愛する子ども達へ


 老いて、頼りなくみえる父、ボーッとしているようにしかみえない父です。でも、見えないところでは、心では、この歌詞のように思っているのかなと思うと、笑顔で私も答えたい。父とは折り合いがいまいちよくないのですが、なんとかそうしたい。


 この樋口了一さんの「1/6の夢旅人2002」という歌もよいです。歌詞が特に。その一部を書きます。



誰かを愛することが 何かを信じつづけることが
なにより今 この体を支えてくれるんだ

世界じゅうを僕らの涙で埋め尽くして
疲れきった足もとから すべて凍り尽くしても
いつの日にかきっとまた 南風が歌いだす
そんな風に そんな風に 僕は笑いたいんだ
笑っていたいんだ

世界じゅうを僕らの涙で埋め尽くして
やりきれない こんな思いが 今日の雨を降らせても
新しいこの朝が いつものように始まる
そんな風に そんな風に 僕は生きたいんだ
生きていきたいんだ



そのように生きられる、なんとかなる世の中であってほしい。
愛し、信じ、助け合い、支え合い、笑いあえる、そんな仲間、そんな人のつながりを大切にする。それがそういう世の中を形作っていくのだと思います。

| 心に響いた言葉 | 20:24 | comments:6 | trackbacks(-) | TOP↑

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老い

 昨日、特養に入所している父の所に行きました。いつもとは違って閑散としていて、フロアにあったテーブルも見当たりません。父の部屋に入ると、父は寝ていましたが、気配に気がついて目を覚ましました。2~3分経った頃、施設の人がやって来て、「インフルエンザ流行中で今は面会禁止になっています」とのこと。それで、直ぐさま施設を後にしました。それなら、そうと連絡ぐらい欲しかったな・・・と思いながら。

 父の所に行くのは月に1~2回。行く度に父はいつもベッドの上で寝ています。そんな父に「寝てばかりいると、ますます体が動かなくなるよ」と言っていました。
 でも、そんな私の考えは正しくなかったと分かりました。『死を生きた人々』(小堀鷗一郎著)を読んで、「老い」ということに対し、目が少し開かれたように感じています。

 著者の小堀氏は外科医師でしたが、定年後に訪問診療医となりました。訪問診療を行うなかで、患者、あるいは死に向き合う姿勢が変えられていった方です。ちなみに、森鴎外の孫でもあります。

 本の冒頭に小堀は次のように書いていました。

患者が食物や水分を口にしないのは、老衰でものを飲み込む力がなくなったからである。飲んだり食べたりしないから死ぬのではなく、死ぬべきときがきて、食べたり飲んだりする必要がなくなったと理解するべき。

 人間の体について、知識のある人には当然のことなのかもしれませんが、私には目から鱗の指摘でした。
 父がベッドの上でじっとしていることが多くなったのは、体を動かすことが少なくなったのが一番の原因ではなく、その力がなくなってきていたから。それなのに、「体を動かさないとだめだよ」なんて言われたら、辛いです。

「老い」は戦うべき相手か
 
 日本人がこの100年間に考えなくなったこととして、二つのことをあげています。一つは、「死ぬこと」。もう一つは、「老人らしく老いること」。

 このことについて、ある二人が書いたことを引用していたので、少しだけ転載します。


 (高齢者に学習療法を行い、脳が若返ったとのドキュメンタリー番組を見ての感想)
 高齢者の脳を若返らせて、一体何を目指しているのだろうか。目標もなければ、高齢者が何を望んでいるのかもお構いなしに学習療法を強調している。あの人が取り組まないのは気力がないからだ。気力を付けるために目を合わせて話をしよう。・・・

 これを見ていて、高齢者に何が必要なのか、高齢者の尊厳を尊重するにはどうしたら良いかについて謙虚に考えないで、自分が良いと思い込んだらそれを一途に押し付けている・・・



 
介護予防という言葉には、介護は予防されるべきもの、という考え方が露骨に反映されている。つまり、要介護状態になることは否定的にとらえられているのである。もちろん、元気に長生きできたらそれに越したことはない。しかし言うまでもなく、誰しも年をとる。であれば、誰もが要介護状態になりうるのである。介護される側になるというのは決して特殊なことではなく、人間にとっては誰しもが迎える普遍的なことであり、自分もそうなるのだ、といった想像力が、介護を問題化するのではなく、介護を引き受けていく社会へと日本社会を成熟させていくための必要条件だと思えるのだ。




 「老い」とか「介護」とか、父が特養にお世話になるまでは、考えたことはありませんでした。でも、「老い」は必ずやってきます。その時に、自分はどう引き受けてもらいたいのか。

 尊厳を大切にする、このことを著者の文章から感じられます。私もそうです。 老いて、できることが少なくなっても、一人の人間としての尊厳を大切にしてもらいたいって思います。


尊厳を大切にする

 その人の尊厳を大切にするって、ではどういうことなのでしょう。その一つは、「その人の人生の厚みを知ること」だと教えられました。

 こんなエピソードが書かれていました。ご主人に余命1ヶ月の宣告がなされた女性は、医師からのある言葉が嬉しかったと語っています。どんな言葉でしょう。


 「ご主人はどんな人ですか」

 今までは患者でしかなかった夫。教師として40年近く勤め上げた経歴も、自分にとってはかけがえのない夫であることも、治療には関係なかった。でも、「ご主人はどんな人ですか」の問いかけに、人間修理工場の技師ではなく、病気になった人を治そうとしてくれる、夫に敬意をもって関わろうとしてくれていると感じたそうです。

「ご主人はどんな人ですか」、この問いかけを思うだけで、涙が出そうです。


 「お母さんはどんな人ですか」「奥さんはどんな人ですか」 そう家族が聞かれる時が来たとしても、家族が困らないように、誠実に生きていこうと改めて思いました。


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あの日のこと

 1月17日は阪神淡路大震災から24年目の日でした。そのことを記そうと思ったのですが、何だか書けなくて、そのままにしていました。でも、ブロ友さんが阪神淡路大震災のことに触れていらっしゃって、それを読んで、やはりこの日を忘れてはいけないと思いました。

 東日本大震災のことを思うと、阪神淡路大震災のことを書くのが忍びない感じがしていました。当時は吹田市に住んでいて、神戸市内程には揺れなかったですが、それでもその揺れは、それまでに感じたことのないものでした。目が覚めた途端に大きく上下に揺れて、しかもその時間が長く感じられて、「天国に行くのかな」と、一瞬ですがそう思いました。

 神戸市の自宅では私の部屋に置いていたピアノが動いていて、そこでもし寝ていたら、今頃はイエス様と一緒にいたかもしれません。あの日は連休明けの火曜日だったので、自宅に帰ろうと母に何回か電話をしました。でも、電話はつながらなくて、帰るのを止めました。
 今のように携帯電話を使っていたら、多分連絡はついたでしょうし、自宅に帰っていた可能性は大きいです。

 そう思うと、生かされているんだなって思います。去年も書き留めましたが、今年もまた引用します。

この地上とは、惰性で無感動に生きている場ではない、という思いに貫かれた。
・・・・・・
この一回きりの生を、両腕にひしと抱き、熱烈に、本気で生きなければ、もうそれは二度と味わうことができないのだ
・・・・・・
平和も自由でも失ってはじめてその大切さが分かる。われわれの生活にしたってそうだ。生活が単調に見え、退屈な繰り返しに感じられるのは、それがいつもあると思っているからだ。生活が失われる、生命の火が消えると分かったとき、われわれはどんなにそれが貴重であると思うだろう。その瞬間、人生は喜びに満ちていたことに気づく。
(『生きて愛するために』辻邦生著 より一部転載)



聖歌「とおきくにや」(関東大震災を体験した宣教師が作った賛美です)

| 世の中のこと | 19:32 | comments:4 | trackbacks(-) | TOP↑

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心がけたいこと

 youtubeで辻井伸行さんが演奏するラ・カンパネラを聴いて、感動で涙が出ました。なんて美しい響き。心が洗われるような素晴らしいピアノ演奏。
 目が見えないのに、こんなにも素晴らしい演奏をされる。どれだけの練習をされているのでしょう。生まれ持った才能だけではないのですよね。





 人は何かを見たり読んだり聴いたりします。色んな理由がありますが、心が浄化されたい、癒されたい、ほっとしたい、そういうのもあると思います。美しいもの、感動するものに人は心ひかれます。

 だから、そんなものを、ささやかでいいから発していけたらいいなって思います。

 そんなことを、やなせたかしさんの「月夜のベンチ」という詩を読んで思いました。一部転載します。

月夜のベンチ

愛する言葉を話したい
恋する心を話したい
風にゆれてる花のように
ほんのちいさなささやきを
あのひとだけにしらせたい

| ひとりごと | 19:39 | comments:2 | trackbacks(-) | TOP↑

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『告白 あるPKO隊員の死・23年目の真実』

 ある1冊の本を読みました。読みながら、憤りを感じ、涙が流れてきました。そして、自分自身の無知、いや無関心を情けなく感じました。その本は、PKOでカンボジアに派遣された文民警察官の死について記したもの、『告白 あるPKO隊員の死・23年目の真実』です。



 この本については、Amazonレビューに多くの感想が寄せられています。

 この本を読んで私が考えさせられたのは、国益、国、国際貢献、平和、人ってなんなのだろうかということ。
 「停戦合意がなされている、安全だ」と言われ、カンボジアの各地に派遣された文民警察官たち。でも、彼らが派遣された地域は「戦闘地域」。その地で何が起こっているか、その治安情勢については日々日本政府に報告されていたけれども、その事態の深刻さが日本で大きく報道されることは国益を損なうと考えられ、伏せられていました。

 「国益を損なう」、この言葉を今まで何度も耳にし、「また言っている」と、特に気に留めることもありませんでした。でも、何なのでしょうね、国益って。人の命が奪われるかもしれない、そんな危険な状態に人を晒してもなお守らないといけない「国益」って。「国益」とは言うけれど、損ないたくないのは、自分の面子、評判ではないのか。

 国際貢献は大切なことなのは分かります。ならば、それなりの準備、支援をするのは国の義務であり責任でしょう。でも、文民警察をカンボジアに派遣するとき、手落ちが余りにも多すぎたように思います。
 他国の文民警察官は軍警察や軍事訓練を受けた警察官で構成されていたり、ジャングルで3週間のサバイバル訓練を受けたりしていた。防弾ヘルメットや上半身の前面と背面を覆う防弾チョッキも携行していました。
 でも、日本の文民警察官は紛争地での特別な訓練を積んでおらず、行ったのは予防接種や保険の説明などの事務作業と、高尾山での健脚訓練、四輪駆動車の車両訓練。彼らが携行していた防弾チョッキはライフル弾を止めるようなものではありませんでした。

 「平和」のために、時に人が犠牲になっています。それが仕方のないことなのか、それとも、そんなことがあってはならないのか。「あってはならない」と言うと、非現実的にすぎるような気がします。かといって、「仕方のないこと」と言うのは言い訳に過ぎないというか、思考停止しているのではないかと思います。
 平和のために、どうして時に人が犠牲になってしまうのでしょう。
 ただ、この時犠牲になった高田さんに関しては、避けることができたと思うんです。政府がちゃんとなすべきことをしていたら。

 「平和」ということを思う時、矢内原忠雄のこの言葉がよぎります。

多くの人が考える平和論は、再び戦争のために死ぬることは御免だ、戦争の被害者となることがいやだ、という感情論であります。これは一般的な強い感情でありますが、少し考えてみると、その浅薄であることがわかります。正しいことのためなら、自己を犠牲にすることは、人間としてなすべき当然の義務であります。ただ自分が死ぬのがいやだ、家を焼かれるのがいやだ、子供を死なせるのがいやだと言う感じだけでは、平和論は確立しません。われわれは事に臨んでは自分の一命を捨てなければならない、自分の子供も犠牲にしなければならない、自分の財産も捨てなければならないことがあるのです。


 「正しいことのためなら、自己を犠牲にすることは、人間としてなすべき当然の義務であります」「われわれは事に臨んでは自分の一命を捨てなければならないことがある」。とても厳しい言葉です。簡単に飲み込める言葉ではありません。

 一番いけないと思うのが、自分にはそんな覚悟が微塵もなく、安全地帯から一歩も出ないのに、人に犠牲を強いること。そして、今もなお、これは繰り返されています。

 
 平和を本当に願うのならば、どうして武器を作るのか。抑止力なんて言う人もいますが、そんな嘘はいらない。お金儲けをしたいだけなんだと思います。そんなことのために、人の命が奪われていいはずがありません。
 
 
 370ページ程ある本ですが、広く読まれて欲しい本だと思いました。

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短歌

 朝日新聞の歌壇。普段はそんなに念入りには読まないのですが、今回は読まずにはいられませんでした。沖縄辺野古への土砂埋め立ての歌が圧倒的に多かったということです。入選作の中から3作を転載します。

 平和にも賞味期限のある如く歯止めの利かぬ防衛予算

 空母持ち戦闘機買ひ土砂投ずすでに九条なきがごとくに

 沖縄の民意が無視をされるのは民では無いと言う事なのか




 もう1作。これは子どものことを詠った短歌。

 空つぽのまつ白なままの時にゐてぽかんと過ごす子どもが消えた

 
 予定の詰まった子どもは多いと思います。以前勤めていた職場で聞いたこと。小学校1年生。放課後も毎日お稽古事があって、何も無いのは日曜日だけ。夕食は午後8時頃とか。ここまで忙しい子は少ないかもしれませんが、ぽかんと過ごせる時間をどれぐらいの子ども達がもっているのかなって思いました。

 ・・・なんて書いていますが、我が子達がぽかんと過ごしていたら「ぐうたらばかりしてないの」と言っている私、気をつけなければ。

| 今日の出来事 | 20:14 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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