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『生命をかつぐって重いなあ』

あることがきっかけで、以前読んだ本の以下のくだりを思い出しました。

重度の知的障がい児のための施設(止揚学園)を運営さしている福井さんの体験談です。

福井さんの息子さん達が通う学校に、止揚学園から通っている子どもたちがいました。PTA役員をしていた時に、夏休みにソフトボール大会をすることになり、先生が原案を持ってきました。でも、そこには止揚学園の子ども達の名前が全く載ってなかったので、先生に言いました。

福井さん「私の所(止揚学園)の子どもは一人も載っていませんね」
  先生「お宅のお子さんはソフトボールはできないからはずしました。お宅の子、ソフトボールができるんですか」
福井さん「できませんね」
  先生「そしたら、できなかったら、はずすのがあたりまえでしょう」 (周りの先生も同調します)
福井さん「ちょっと待って下さい。ここは教育の場でしょうか、それとも一般ビジネスの場でしょうか」
  先生たち「教育の場です」

福井さんは「できるかできないか、できないからはずしてしまうのは教育の場ではない。」と思っていたので、次のように話しました。

「うちとこの子は確かにソフトボールはできない。でも、うちとこの子が走れなかったら、貴方が一緒に手をつないで走ってくれたら走れます。とべなかったら、貴方が後ろから抱いて一緒にとんで下さったらとべますよ。バットを振れなかったら、貴方が一緒になってバッドを振って下されば振れますよ。

 教育というのは、できるかできないかで、できないものをほかすのでなく、やるかやらないか、私たちがその子と共になってやるかやらないか、やろうという決断があったらなんでもできるんです。教育というのは、できるかできないかというのではなく、やろうか、やらないかじゃないんでしょうか」

その言葉に、止揚学園の子をいれてソフトボール大会をすることになりました。そして、ソフトボール大会が終わって、先生が次のように言われたそうです。

「 今度のソフトボール大会は、とってもすばらしかった。それはなぜかというと、いつもソフトボール大会は勝つか負けるかということが主体となっていて、下手な子は小さくなっていて、上手な子はいばっている。
 それが今度は止揚学園の子が入った為に、子ども達なりにあの子ども達を助けて、どうして勝とうかと一所懸命考えた。そのうちに人の助け合うことのすばらしさ、うつくしさを子ども達なりに知ったんです。人は助け合うことが本当にすばらしいことだということを、子ども達が知ったと言うんです。
 勝つか負けるかではなく、みんなが力を出して一所懸命やろうという姿勢に変わっていった。
 今の学校教育ではどうしても教えられない人間の心のあり方、それをこの子ども達が入ってくれたために体をとおして感じ、そして学んでいった。・・・」


これは40年程前のことなので、今はそういうわけにはいかないのかもしれない、そういう思いがないわけでありません。でも、拘わる大人が本気になれば、子ども達に大切なことは伝わると思うのです。


スポーツ大会や運動会で、運動の不得意な子や体が自由に動かせない子がいたら、その子がいるからできることが限られてくると思ってしまうのではなくて、共にやってみる。


これも多分福井さんがどこかで書かれていたことだと思うのですが、こんなエピソードもあります。

日頃から「困っている子がいたら、助けてあげましょう」と、学校(特別支援学校だったと思います)では子ども達に伝えていた。
運動会の徒競走で、1人の子が転んでしまった。すると、走っていた他の子ども達みんなが、その転んだ子のところにやって来て助けてあげた。

「困っている子がいたら助けてあげましょう」と、日頃言われているから、その通りに行動した。


そんな優しい心--うわべではない--を、私は持っているだろうかと自問自答してみる。


この本をもう一度読み返したくなりました。

生命(いのち)をかつぐって重いなあ生命(いのち)をかつぐって重いなあ
福井 達雨

柏樹社 1975-01
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福井達雨さんの本はお薦めです。
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