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引き受けてもらう

奥田知志さんがfacebookに書いていたことに、とても共感したので、一部転載します。


「誰かに謝ってもらいたかった」との書き出し。

20年前の話です。現在は回復しているけれど、当時難病を抱えていて、2週間に1度総合病院で診察。2時間待って2分の診察。

病気でへとへとなうえ、長時間待たされイライラ。その上、血液検査でさらに1時間待たされ、順番が回ってきたときにはイライラはピークに。

看護師さんは「随分待たせてごめんなさいね。少し痛いですよ。本当にごめんなさい。は~い、痛かったでしょう。ごめんなさいね」と奥田さんに言った。

奥田さんはその言葉にハッとしたけれど、看護師さんの「ごめんなさい」を聴きながら、心の中で反省するだけだったそうです。


そして、次のように書かれていました。


 しかし、その朝、僕はどうしようもなく、やり場のない怒りのようなもの、納得できない苛立ちを感じていたのだ。そんな僕は、誰でもいいから謝ってもらいたかったのだ。僕には「ごめんなさい」が必要だったのだ。病気になって、しかも難病で、もって行き場のない感情が怒りとイライラが僕の中にうごめいていた。誰でもいいから僕の怒りを引き受けて欲しかった。お門違いであるあることは百も承知。でも「ごめんなさい」と謝って欲しかった。

 人は、時として引き受けてもらうということが必要なのだ。それは事実上の責任関係があるとか、無いとかの問題ではない。全く関係のない僕のイライラやしんどさ、この怒りを誰かに引き受けてもらいたかったのだ。誰でもいいから謝ってほしい。そんな日が人生にはある。

 イエス・キリストという神は何であったのか。それは、全くの赤の他人である僕の負うべき、僕の十字架を引き受けてくださった神であった。あの「ごめんさいね」の究極の姿、それが十字架のイエスだったのだと思う。




人は、時として引き受けてもらうということが必要なのだ。そんな日が人生にはある。


この言葉にほっとしたというのが正直なところ。
そしてまた、私がそうであるように、他の人もまたそうなんですよね。
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