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Crescent~小さくても光を受けている。きっと誰かに愛されているから~

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ときめき

 最近感じているのは、ときめきやワクワク感みたいなのって大切だと。
 私が単純なだけかもしれないのですが、そういうものがあると、毎日が楽しくなると言うのか、内から喜びが溢れ出てきて、優しくなれる、朗らかになれる、そう感じます。そして、そんな優しさとか朗らかさは周りにも穏やかな空気を生み出すと思います。それは巡り巡り、優しい社会へと繋がっていくんじゃないかな・・・。

 当たり前の事かもしれませんが、そんな当たり前の事を案外忘れてしまっているかもしれない。日々の忙しさで、ゆっくりしたり、ほっとしたりする時間がないのが一因なのでしょうか。

 先週日曜日の朝日新聞の「折々のことば」で長新太さんの言葉が紹介されていました。

 
「ぼくなナンセンスなのものを描いているわけだからその意味づけを云々されても困るわけ。」

 何の意味もメッセージもないと、読者より批判が向けられた時、長新太さんは、しつけや感動といった「指導」より、生きるのは楽しい、不思議がいっぱいと、子ども自身が感じる方が先だと思った。「ためになる」かどうかより、「生理的に心地よいこと」が生きることの根柢になければと。


 私は長新太さんの絵本は好きですが、どうして、あえて「ナンセンス」に拘っているのかなって思っていました。この長新太さんのコメントを読んで納得しました。

 子どものために、と何かを含んだ、教訓的な絵本を親は選びがちだし、将来のためと、やれ勉強、やれ習い事と子どもを忙しくさせてしまいがちです。それらも大切かもしれないけれど、それよりも、
「生きるのは楽しい、不思議がいっぱいと、子ども自身が感じる」こと、「ためになるかどうかより、生理的に心地よいことが生きることの根柢になっている」ことのほうが、子ども達には大切。

 そして、そういうことは、ときめきやワクワク感につながるのではないかなって思います。

 何度か引用している詩があります。「いそげ、いそげ、ほらいそげ」

いそげ、いそげ、いそげ、ほらいそげ、
ぼくらはどこへ向かっていそいでいるの?
これが生きるってこと?
これが愛するってこと?
いそげ、いそげ、いそげ、ほらいそげ、
 あっちへ行ったり、
  こっちへ行ったり、
ぼくらはどこへ向かっていそいでいるの?
これが成長するってことなの?
これが学ぶってことなの?
なんのためにこんなにもいそいでいるの?
たくさんのものを失っているじゃないか--
立ち止まることもしないで、いつも素通り。
どこへ向かって、ぼくらはいそいでいるの?
ぼくらは目的を達成したときに、“やった”と満足できるだろうか?
それとも、ぼくらはあいかわらず
いそいで
 いそいで
  そしてまた、いそいでいるのだろうか……
(『Listening to the Littelest』)


この詩に「たくさんのものを失っているじゃないか」という言葉がありますが、子ども時代に本来感じたり体験したりする楽しさ、不思議、心地よさというものが、「失っている」ものの中に入っている。


 少し話が逸れてしまいましたが、子どもにときめきやワクワク感が必要なように、大人にもそれらは大切なんですよね。

 そういう私は今ときめきやワクワク感に満たされています、多分、きっと。
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