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『告白 あるPKO隊員の死・23年目の真実』

 ある1冊の本を読みました。読みながら、憤りを感じ、涙が流れてきました。そして、自分自身の無知、いや無関心を情けなく感じました。その本は、PKOでカンボジアに派遣された文民警察官の死について記したもの、『告白 あるPKO隊員の死・23年目の真実』です。



 この本については、Amazonレビューに多くの感想が寄せられています。

 この本を読んで私が考えさせられたのは、国益、国、国際貢献、平和、人ってなんなのだろうかということ。
 「停戦合意がなされている、安全だ」と言われ、カンボジアの各地に派遣された文民警察官たち。でも、彼らが派遣された地域は「戦闘地域」。その地で何が起こっているか、その治安情勢については日々日本政府に報告されていたけれども、その事態の深刻さが日本で大きく報道されることは国益を損なうと考えられ、伏せられていました。

 「国益を損なう」、この言葉を今まで何度も耳にし、「また言っている」と、特に気に留めることもありませんでした。でも、何なのでしょうね、国益って。人の命が奪われるかもしれない、そんな危険な状態に人を晒してもなお守らないといけない「国益」って。「国益」とは言うけれど、損ないたくないのは、自分の面子、評判ではないのか。

 国際貢献は大切なことなのは分かります。ならば、それなりの準備、支援をするのは国の義務であり責任でしょう。でも、文民警察をカンボジアに派遣するとき、手落ちが余りにも多すぎたように思います。
 他国の文民警察官は軍警察や軍事訓練を受けた警察官で構成されていたり、ジャングルで3週間のサバイバル訓練を受けたりしていた。防弾ヘルメットや上半身の前面と背面を覆う防弾チョッキも携行していました。
 でも、日本の文民警察官は紛争地での特別な訓練を積んでおらず、行ったのは予防接種や保険の説明などの事務作業と、高尾山での健脚訓練、四輪駆動車の車両訓練。彼らが携行していた防弾チョッキはライフル弾を止めるようなものではありませんでした。

 「平和」のために、時に人が犠牲になっています。それが仕方のないことなのか、それとも、そんなことがあってはならないのか。「あってはならない」と言うと、非現実的にすぎるような気がします。かといって、「仕方のないこと」と言うのは言い訳に過ぎないというか、思考停止しているのではないかと思います。
 平和のために、どうして時に人が犠牲になってしまうのでしょう。
 ただ、この時犠牲になった高田さんに関しては、避けることができたと思うんです。政府がちゃんとなすべきことをしていたら。

 「平和」ということを思う時、矢内原忠雄のこの言葉がよぎります。

多くの人が考える平和論は、再び戦争のために死ぬることは御免だ、戦争の被害者となることがいやだ、という感情論であります。これは一般的な強い感情でありますが、少し考えてみると、その浅薄であることがわかります。正しいことのためなら、自己を犠牲にすることは、人間としてなすべき当然の義務であります。ただ自分が死ぬのがいやだ、家を焼かれるのがいやだ、子供を死なせるのがいやだと言う感じだけでは、平和論は確立しません。われわれは事に臨んでは自分の一命を捨てなければならない、自分の子供も犠牲にしなければならない、自分の財産も捨てなければならないことがあるのです。


 「正しいことのためなら、自己を犠牲にすることは、人間としてなすべき当然の義務であります」「われわれは事に臨んでは自分の一命を捨てなければならないことがある」。とても厳しい言葉です。簡単に飲み込める言葉ではありません。

 一番いけないと思うのが、自分にはそんな覚悟が微塵もなく、安全地帯から一歩も出ないのに、人に犠牲を強いること。そして、今もなお、これは繰り返されています。

 
 平和を本当に願うのならば、どうして武器を作るのか。抑止力なんて言う人もいますが、そんな嘘はいらない。お金儲けをしたいだけなんだと思います。そんなことのために、人の命が奪われていいはずがありません。
 
 
 370ページ程ある本ですが、広く読まれて欲しい本だと思いました。

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