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Crescent~小さくても光を受けている。きっと誰かに愛されているから~

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『看取るあなたへ』

『看取るあなたへ』。終末期医療の最前線に立つ20人による死生観が述べられています。



 死生観だけを書いている人もいれば、自分の経験を元に死生観を書いている人もいます。数あるエピソードの中で、ここでも似たような体験が書かれていました。

 医師である父親をもつ息子。父親が元気な頃は、二人はしっくりいっていなかったようです。でも、父親が末期状態となり、息子が看病していたときに、父親がひとこと「ありがとうな」と言われたそうです。その言葉に、 「おやじに対するわだかまりが全部なくなりました」とその息子は語っています。

 この息子の思いがとてもよく分かります。父が特養にいた時、帰り際に小さな声で「ありがとう」って言ってくれたとき、私も同じようにわだかまりがなくなっていくのを感じました。入院していた時もささやくような声で「ありがとう」って言ってくれたことがあって、その時は涙をこらえるのが必死で・・・。

 臨床宗教師(お坊さん)の言葉を転載します。

 人間はスーパーマンにはなれないし、そして、物語は必ずしもハッピーエンドには終わらない。それこそ宮沢賢治の、遙か遠い彼方宇宙の彼方から、そういう人間存在の哀しみ、苦しみを包み込んでいる、あの視点・視線が大切です。その視点・視線がないと、とても背負いきれないと思います。

 希望を捨てず、向き合い続けることに変わりはありません。ただ、成果がその都度その人の目の前に現れるかというと、そうでもない。風が過ぎ去ったとあと、花が咲いたか、咲かないか、そういうことはあまり気にしない。ただ風が通り過ぎることに意味があり、そこにいることに意味があるのだ、と自分に言い聞かせています。成果を求めだしたら苦しくなります。



「人間存在の哀しみ、苦しみを包み込んでいる、あの視点・視線」、私にはイエス・キリスト。父を見送ってからもしばらくは自分を責める思いが強かった。その中、聖書を読むと、どれだけ深く熱心にイエス様が私(たち)のために祈ってくれているかが、次から次へと示されて、癒やされていくのを感じました。


 父のことを思い出しては、もうこの地上にいないことに寂しさを覚えますが、こうやって父を想い、懐かしめるのは、すべてを包み込んでくださる大いなる方がいらっしゃるから。
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| | 19:30 | comments:2 | trackbacks(-) | TOP↑

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| | 2019/08/13 21:44 | |

鍵コメ様

「ありがとう」、これは本当に素適な言葉です。
それがその人の心の奥底からの「ありがとう」なら、それが伝わるんですよね。
言われたこちらのほうも、心が震えるような・・・。
大切にしたい言葉ですね。

キリスト教にはお盆の習慣はないです。
ただ、父を亡くして思うのは、お盆というのもいいなって。愛する人を失った悲しみが癒される、それは父を失って初めて感じます。
人は亡くなっても人なので、祭ることはしませんが、いい風習だと思います。

お墓参りはします。
お線香をあげたり、食べ物を供えたりということはしませんが、お花は飾ります。
そして、父の魂がイエス様と共にあることや、父とのことを思い出しては、神様に感謝したり。

仏壇は勿論ありませんが、写真を飾って、花を添えて、折に触れて父のことを想ったり。


亡くなった後、どこに行くのか。
キリスト教では天国に行って、イエス様とお会いして、ずっとそこで安らぐ。
父が亡くなったことは本当に悲しかったです。ただ、「ありがとう」の言葉ともう一つ「また会う日まで」と父を見送れたのはよかったなって思います。

| 愛希穂 | 2019/08/14 16:01 | URL |















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