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地上の経営を任されているからと言って・・・

聖書にイエス様の語られたたとえ話がいくつかあります。その中の一つに「ぶどう園のたとえ話」があります。こういう話です。

 ある人がぶどう園を造って、垣を巡らし、酒ぶねを掘り、やぐらを建て、それを農夫たちに貸して、旅に出かけた。
 季節になると、ぶどう園の収穫の分けまえを受け取りに、しもべを農夫たちのところへ遣わした。
 ところが、彼らは、そのしもべたちをつかまえて袋だたきにし、何も持たせないで送り帰した。
 そこで、もう一度別のしもべを遣わしたが、彼らは、頭をなぐり、はずかしめた。
 また別のしもべを遣わしたところが、彼らは、これをも殺してしまった。続いて、多くのしもべをやったけれども、彼らは袋だたきにしたり、殺したりした。
 その人には、なおもうひとりの者がいた。それは愛する息子であった。彼は、『わたしの息子なら敬ってくれるだろう』と言って、最後にその息子を遣わした。
 すると、農夫たちはこう話し合った。『あれはあと取りだ。さあ、あれを殺そうではないか。そうすれば、財産はこちらのものだ。』
 そして、彼をつかまえて殺してしまい、ぶどう園の外に投げ捨てた。
 ところで、ぶどう園の主人は、どうするでしょう。彼は戻って来て、農夫どもを打ち滅ぼし、ぶどう園をほかの人たちに与えてしまいます。




このたとえ話について、矢内原忠雄氏が次のように解説されていました。

 神は自然および人類の創造主であり、したがって国土および国民の創造主である。その創造し給える自然並びに人類の発展について神が関心を有する事は言うまでもないが、しかし神は専制的独裁者のごとく枝葉末節に至るまで直接に干渉するのではない。自然をば人の経理に託し、国をば指導者の政治に委ね給う。神は「遠く旅立」して、地上における人の自由活動を認めつつ、その経営の状態並びに結果如何と観察し給う。神は歴史を監督する。しかし歴史の現実の進行は人の経営するところである。神自ら歴史の筋書きをば微細の点に至るまで規定し、人は機械的に之を暗誦するのではない。そのような意味において神が歴史の指導者たるのではない。歴史を作ることは人の経営に委任されている。ただし人は経営の責任を神に対して追うのである。

 神が歴史を指導すると言うのは、人の経営に対して大方針を授け、この方針に背馳する経営をば是正するとの意である。人が歴史を営むには、神の正義を実現する人の根本方針が与えられている。良い葡萄を結ぶことは、葡萄園の自明の目的であり、農夫たるものの自明の任務である。

(中略)

 何年何月何日何国何地点で何国軍隊と何国軍隊が衝突する、というようなことを、神が予め規定せられるのではない。ただし神は「農夫より葡萄園の所得を受け取る」ことを要求し給う。その意味において神は歴史を監督し給うのである。



 この聖書の箇所をこのように解説するのを聞いたのは初めてです。そして、改めて聖書の言葉を読み、この矢内原氏の言葉を読んで、これはまさに現代の人間への警告ではないだろうかと思いました。

 神様は人に地上の経営を任せておられる。そしてその方針は善であること、義であること。でも、それが今の世に見られるとは思えない。

 また、人が神様に返している実はなんだろう。どちらかというと、それは神様が望まれないものではないでしょうか。そればかりか、神様が創造された地球を破壊している・・・それも私たち自らの欲のために。

 このままでいくはずがないと思うのですが・・・。

 
(facebookに投稿されていた やなせたかしさんのメッセージ)
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