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きっと誰かに愛されている

変わらないかもしれないけれど

2013/02/24
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今日、日本の思想界を見るに、殆ど思想がないと言って、いいのではないかと思う。・・・政府の弾圧と責任と相まって、マルクス主義防止の為に取った教育者の政策は、随分不幸なる影響を今日の青年学生に残した。青年をして「思想」せざらしめる手段として、むやみにスポーツを奨励したのは、日本の教育者の為した根本の間違いであると思う。この為に学生の頭は空っぽになり、魂の緊張を失って思想的動脈硬化症に陥った。思想がなければ、社会が弛むのは当然である。


これは矢内原氏の言葉です。
決してスポーツがだめだと言っているのではなく、若者達を考えさせないために、むやみにスポーツを奨励したことの弊害を述べているだけだと思います。

子供が学校に行くようになって知ったのですが、何らかのスポーツをしている子供達は本当に多いんですよね。
水泳、サッカー、野球、テニス、ダンス、バドミントン、バスケットボール、空手、柔道、剣道・・・挙げれば切りがありません。

やるだけの何かがあるから、このようにスポーツをする子供達が多いのでしょうね。

そして、スポーツと言えば真っ先に思い浮かぶのが「炎のランナー」。
この映画、5〜6回は見ていると思います。教会で10月になると、必ず伝道集会で上映されていました。
実話を元にして作られているのは周知のことですが、主人公のエリック・リデルの言葉が忘れられません。

彼は敬虔なクリスチャンでもあったのですが、映画でこのように話しています。
神は僕が速く走れるようにお創り下さった。 そして走る時、僕は神の喜びを感じるんだ。

スポーツや芸術、研究など、人それぞれにそれに打ち込む理由はあると思いますが、エリック・リデルのように「神の喜びを感じるんだ」と言えるのは、素晴らしいことだと思います。

そのエリック・リデル氏。第二次世界大戦中、中国で宣教師をして働き、中国を侵略していた日本軍によって収容所に入れられました。収容所での日本兵の中国人へのむごい仕打ちを見せつけられ、メティカフ氏(後に宣教師となって来日)を始め収容所の少年達が、その行為をどうしても赦すことが出来なかったとき、彼はこう言ったそうです。

聖書には『迫害する者のために祈りなさい』と書いてある。ぼくたちは愛する者のためなら、頼まれなくても時間を費やして祈る。しかし、イエスは愛せない者のために祈れと言われた。だから君たちも日本人のために祈ってごらん。人を憎むとき、君たちは自分中心の人間になる。でも祈るとき、君たちは神中心の人間になる。神が愛する人を憎むことはできない。祈りは君たちの姿勢を変えるんだ。

そう言われて、メティカフ氏は祈り始めたそうです。
でも、日本と日本人のために祈っても、日本兵の振る舞いは変わらなかった。
しかし、それを見ているメティカフ氏の心の中には変化が生じていた。
目に映ることは相変わらず受け入れがたい。しかし同時に、「この人たちは、命の価値というものを知らないのだ」と理解することができるようになった。この思いはやがて、宣教師となって日本へ行き、神の愛を伝えたいという祈りに発展していった。


TPPへの交渉参加を決めてしまった安倍氏。
そして、そんな安倍政権を「幸行が良い」「首相の決断を評価する」などと書く新聞には本当辟易します。
でも、聖書はそういう者達のためにも「祈りなさい」と言います。
日本兵の振るまいが何も変わらなかったように、権力者達の振るまいも変わらないかもしれませんが、それでもやはり、祈っていくしかないのでしょうね。


それにしても、「炎のランナー」のテーマ曲はいいですね。

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愛希穂
Admin: 愛希穂
読書とパソコン、ピアノと賛美、ヤマトの古代君とマッチが大好き。
これからも続く人生の中で今日が一番若い日。
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