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Crescent~小さくても光を受けている。きっと誰かに愛されているから~

本や子ども、聖書のこと、日々の徒然を書きます。トップの画像はその時々で変わります。

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知るということ、知らないということ

 昨日2/22の朝日新聞 オピニオン面掲載の記事です。

asahi0223.jpg

 後半部分を転載します。

  我々は彼らのウソを知っている
 彼らも彼ら自身がウソをついていることを知っている
 彼らは我々が彼らのウソを知っていることを知っている。
 我々も知っている。彼らは我々が彼らのウソを知ることを知っていることを
 それでも彼らはウソをつき続ける

 7年前のSARSを機に中国各地で環境NGOが活発化した。私も民主主義の芽吹きを期待した。伝染病も公害も、貧富の格差や思想信条を超えて同じ苦しみを広く面で与える。 高度成長期の日本では、公害が地方自治体の首長を次々に交代させた。自由な選挙がない中国でも、人々が連帯して権力に物申し、実態として政治のパワーを持つかもしれないと思ったのだ。

 しかし、いや、だからこそ、中国共産党は人々の連帯を注意深く断ち、政府系NGOという倒錯した組織に収斂させていった。 社会の分断は市民の力をそぎ、権力者のウソが追及される恐れを減らす。そして、権力は増長し、情報は隠蔽される。

 独裁国家だけだろうか。
 新型肺炎だけだろうか。

 文書が気楽に消えてしまう国では、経験の英知も気軽に崩れる。ともに声をあげなければ、それはウソだと言わなければ、彼らはウソをつき続けられる。 事実とウソの境界が溶けたとき、不信は連鎖し、社会は不安に陥る。
 私は声をあげるひとりでありたい。



 おかしな事には、「おかしい」と言える者でありたいと思うのですが、私が「おかしい」と感じても、なんとも感じない人もいます。

 先日知人と話をしていて、コロナウィルスの話題から現政権の話になりました。すると、30代の知人が
「今までの首相と比べたら、ア ベ首相がまだいいと思う。他に誰がいますか?」
 と、私には驚きの言葉が返ってきました。
 
 「彼が今まで何をしてきたか、知ってるの?」と聞くと、「よく知らない」との答え。
 その返事にもびっくりして、ついつい言ってしまいました。

 「このままいくと、さよなら三権分立になると思う。よく知らないなら、知ってほしい。」


 現首相が、内閣が何をしてきたのか。ちゃんと知らないから、彼がいい、なんて言えるのでしょうか。 
 では、どうして知らないのか。(私も詳しいわけではありませんが。)

 知ろうとしないことが一つ。
 知ろうと思っても、情報がない、ということも一つ。

 現首相や内閣の情報はあります。でも、政治家一人一人が何をしているか、どのような発言をしているか等については、それが野党になれば、なおさらに、情報は少ないです。

 だから、「ア ベさんの代わりになるような人はいない」ということにもなるのかもしれません。

 情報の非対称がここにも。マスコミは意図してそうしているのかどうかは知りませんが、「知らない」ということは、何かを判断するときに、正しく判断する力を削いでしまうものなのだと、しみじみと思いました。

 知らないことはいっぱいありますし、何でもかんでも知ることができるわけでもありません。
 でも、知る必要のあることは、知る努力をしていかなくては。

| 世の中のこと | 17:07 | comments:3 | trackbacks(-) | TOP↑

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環境のこと

 昨日、環境のことを書きました。そして、過去に環境のことを書いたことを思いだして、過去の記事を読み直しました。そこで、1992年にブラジルの「リオサミット」で「伝説のスピーチ」と語り継がれているセヴァン・カリス=スズキさんのスピーチを久しぶりに見ました。



 この演説当時、彼女は12歳。今年9月ニューヨークのサミットでのグレタ・トゥーンベリさんのスピーチも凄かったですが、このスズキさんのスピーチも素晴らしい。そして、思うのは、彼女がこの演説をしてから30年近く経っているのに、状況は変わっていないということ。

 彼女のお父さんもまた、環境活動家で、同じリオデジャネイロ国連環境開発会議で相互依存宣言を出しています。6年前にブログで引用しているのですが、もう一度転載します。

私たちは知っている
私たちは植物や動物に養われる地球だ
私たちは血管の中を流れる雨や大洋だ
私たちは大地の森の呼吸であり 大海の草や木だ
私たち人類という動物は 地球最初の細胞から生まれ 生きとし生けるものすべてと結びついている
他の生き物たちと遺伝子に刻み込まれた歴史を共にする
不確実にみちみちた現在を共にする
いまだに語られない未来を共にする
私たち人類は世界をとりまく薄い生命層を 織り成している三千万種の生き物の一つにすぎない
共に生きる世界のなかで互いにつながり
生命(いのち)のもとを使い 浄化し 分かち 満たし合っている
多種多様な生命が存在するからこそ 世界が安定するのだ
私たちの家である 地球という星は 有限だ
資源と太陽エネルギーを あらゆる生命が分かち合うから 成長には限りがある
いま初めて私たちは この限界にぶつかった
空気や水や土や種々様々な生命をけがすのは 今日(きょう)の満足のために
無限の未来から奪い取ることなのだ

私たちは信じる
人は増え 道具はとても強力になった
私たちは仲間の動物たちを絶滅させた
大河にダムをつくり 深い森を裸にし 大地や雨や風に毒をまぜ 空に穴をあけた
人類の科学は喜びとともに 悲しみをもたらした
何百万の犠牲のもとに 快適な生活を手にいれた
いまやっと過去の過ちを知り 消えた仲間たちを悼(いた)んでいる
新しい希望をもたらす政策を作ろう
きれいな空気や水や土を 無くてはならないものとして 大切にしよう
多数の人々の遺産をへらし 少数の人だけを肥やす経済活動は間違いだ
環境悪化により生物資本は永遠に損なわれる
だから開発の公式には 完全な生態・社会費用を当てはめなければならない
長い時間の流れの中で 私たちはほんの一世代にすぎない
未来を消滅させる権利は 私たちにはないのだ
知識には限りがあるのだから 注意深く行動しよう
私たちの後からくる人たちのことを考えながら

私たちは決意する
いま私たちと地球との関係は 転換期を迎えている
支配者からパートナーへ 孤立から連帯へ 不安から相互依存へと 私たちは努力する
いまや大切なものを失う危険が 目の前に追っている
生きしと生けるものと もういちど手をつなごう
そのためにあらゆる努力を惜しむまい

| 世の中のこと | 18:51 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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おかしいと思うのですが

 近頃、ブログを書くのがちょっとばかり面倒になってます。でも、細々とですが、せっかく続けているので止めたくはない、という思いも。

 昨日11/10の朝日新聞「社説余滴」に「ポイント還元の誘惑と葛藤」と題して、朝日新聞記者の記事がありました。

 消費税増税は、若い世代やこれから生まれてくる世代に、将来より大きな負担を押しつけないようにと始まったのに、この本来の目的を首相はほとんど説明しない。そして、記者自身も、ポイント還元でいまのお得感を優先し、将来への負担の先送りに少しずつ荷担している。

 とこのように、その記事の最後の方に書かれていました。

 消費税増税の表向きの理由は、この記者の書いてある通りかもしれないけれど、でも、実際はどうなのでしょうね。法人税の減収分と消費税アップ分の税収とほぼ同じ金額だということですし、アメリカの言いなりで武器にはいくらでもお金を出すし、海外へのばらまきもかなりの額です。そういったことを、考えると、「将来のため」という言葉は空しく響いてくるのですが。

 また、Twitter上では大きな話題となっていて、テレビ等では報道はあまりされていないことがあります。「桜を見る会」が首相後援会の恒例行事になっていると。首相だけではなく、同じようなことをしている自民党議員もいるようです。



 税金がこんなことにも使われている。こんなふうに、自分たちの好きに税金を使っている。
 こういうことも、メディアはきちんと報道をしてほしいです。

| 世の中のこと | 18:57 | comments:4 | trackbacks(-) | TOP↑

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理解できないこと

 10月24日の朝日新聞投稿記事。今の首相が国の予算を使って毎年4月に開催する「桜を見る会」に5700万円を要求することに対して、それはおかしいだろう、という投稿です。「桜を見る会」に5700万円もの予算。私も理解出来ません。

1024asahi.jpg

 税金の使われ方がおかしい。
 海外へのバラマキ。戦闘機だってアメリカのいいなりで購入。
 でも、一方、国民に向けてはどうだろう。

 マスコミの報道もなんかおかしいと思います。芸能人が何か問題を起こしたら、執拗に叩くのに、こういう大事なことに対しては、事実を述べるだけに留まる印象。

 福祉や教育のこととなる、「財政が厳しい」とは言うけれど、武器を買うとか、海外へのバラマキ、この「桜を見る会」については、そういう声は一切聞こえてこない。

 どうしてなのだろう?

| 世の中のこと | 19:32 | comments:8 | trackbacks(-) | TOP↑

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一人ひとり

 先週の朝日新聞に掲載された読者投稿。慶州ナザレ園、全く知りませんでした。
 


 少し調べてみると、このナザレ園についての記事がありました。この投稿にも書かれているように、設立後まもなく、反日感情が強かった頃、「なぜ日本人の施設をつくるのか」と抗議を受けたときに、「女性に罪があるとすれば、朝鮮の青年を愛したことだけだ」と設立者の金氏は答えています。

 「国」という大きな規模で捉えたら、「国」だけがクローズアップされますが、大切なことは一人一人をみる、ということだと思います。

 5~6年ほど前に、中国との関係が悪くなっていた頃、小澤征爾さんの発言が新聞に掲載されていました。

「冷え込んでいるのは、日中政府間の関係。大事なのは一人ひとりの関係で、ぼくは、中国にいる友人たちを信じている。」

「人間生きていくときにね、俺の政府と、お前の政府との仲が冷え込んでいるからって俺には何の関係もないよ。不便になるかもしれないけど、全然関係ない」

「政治的なことはよくわからないけど、一人ひとりがもうちょっと、ちゃんと考えるべきだよ。政府がどう言ったからだとか、新聞が書いているから、とかじゃなくて。大事なのは一人ひとり。政府よりも、政府じゃない普通の人がどう考えるかが一番大事。僕はそう思う。」


 大事なのは一人ひとりの個人をみるということ。そういう目を、心を大切にしていきたい。

| 世の中のこと | 11:09 | comments:4 | trackbacks(-) | TOP↑

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国境なき医師団

Every human life is worth saving.
(救う価値のない命などありません)




「国境なき医師団」が地中海での海難捜索・救助活動を再開した、とのニュースを知りました。
そこには、「リビアの首都トリポリ周辺ではここ3ヵ月余り戦闘が激しくなり、10万人が避難している。」と説明されていました。
そのリビアから逃れようとしている人たちを、EU政府はリビアに連れ戻そうとしている。

以前読んだ、『「国境なき医師団」を見に行く』という本に次のように書かれていました。

 移動の間に、あらゆる暴力があります。レイプがあります。強奪があります。病気や怪我にさいなまれます。それでも彼らは安住の地を求めて動き続けるしかありません。

 しかし彼らは自分たちが非合法だと思っているから、誰を非難することもない。訴えることも出来ない。ただただ耐え忍んでいます。そしてひたすら、自分たちを通してくれと言うだけです。しかし、人道に非合法か合法などという区別はありません。

 生きるために紛争地を逃れてきた身に、非合法なんてことはあり得ません。



 先日「存在のない子供たち」を観て思ったように、誰の命も同じく大切にされる世界であってほしい。

| 世の中のこと | 21:01 | comments:2 | trackbacks(-) | TOP↑

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「存在のない子供たち」

 帰省した折、観たかった「存在のないこ子供たち」を観ました。四国では上映がないのです。
 収容人数120人ほどの会場がほぼ満席でした。

 この映画に出演いている人は、ほとんどが監督が偶然見出した人たちで、演じるのはこの映画が初めて。でも、皆が同じような境遇を生きてきた人たち。この出演者の略歴が公式サイトに書かれていますが、それを読むだけでも辛くなるし、泣きそうになります。

 主人公ゼインの叫びが思いが、心に突き刺さってきました。

「僕を産んだ罪」と両親を訴えるゼイン。
「生まれてこなければよかった」と言うゼイン。
そして、
「世話ができないなら産むな」と叫ぶゼイン。

 ゼインをここまで追いつめた両親は間違っている。でも、両親もまた被害者。
 どうして、そんな社会になってしまったのか。

 ゼインが生まれ育った環境はあまりにも過酷なもの。両親には「お前なんか生まれてこなければよかったんだ」となじられる。11歳の妹が無理矢理に結婚させられたのがきっかけに、ゼインは家を出る。そんなゼインを助けたのは、不法滞在で働く女性。ゼインはその女性の子ども(赤ちゃん)の世話をする。でも、母親は不法滞在で逮捕され、ゼインと赤ちゃんは何も知らずに母親の帰りを待つ。

 待っている間、ゼインが赤ちゃんを必死に世話をする姿に心が揺さぶられます。どうしてそこまでゼインはするのか。
 自分は両親とは違うだって、自分より弱い者を絶対に見捨てないという覚悟?
 12歳のゼインには言葉にはできないけれど、人としての尊厳を守り抜くんだという覚悟?
 私がゼインの立場になったら、私はどう行動した?


 映画の最後で、ゼインが笑顔を見せるんです。その笑顔が本当に素適で、その笑顔に、涙が止まりませんでした。

 あと、赤ちゃん役の子どもがとってもかわいいんです。

 映画については、こちらの評論が参考になります。(引用元はこちら「映画.com 映画評論」

「存在のない」少年の告発のまなざしは、すべての大人に向けられている

この映画には、二種類の「存在のない子供たち」が登場する。12歳の少年ゼインの場合は、両親が出生届を出さなかったから。赤ん坊のヨナスは、母親のラヒルが不法移民だから。どちらも法的に存在していない。そんな二人が肩を寄せ合って生きる。家出してラヒルに拾われたゼインがヨナスの子守りをしていたとき、ラヒルが警察に拘束され、帰れなくなったからだ。氷と砂糖をミルク代わりに与え、懸命にヨナスの面倒を見るゼイン。12歳の弱者が、より幼く弱い者をかばいながらサバイバルする姿に、胸が痛まない人はいないだろう。

しかし、この映画の根底に流れるのは、そうした状況から醸し出される感傷ではなく、そうした状況を生み出す大人たちに向けられた怒りだ。その怒りの矛先は、まず子供を労働力としかみなさず、愛も教育も与えないゼインの両親に向けられる。そして、親たち(彼らもかつては存在のない子供たちだったのだろう)を、そんな大人にさせた社会に対しても。ゼインが両親に向けて放つ「世話できないなら産むな」という告発は、世話されない子供たちを放置している社会に向けられた言葉でもある。弱者の視点から社会問題をえぐる。そこに、この映画の芯の強さがあり、共感の源泉がある。

実際、劇中で扱われている社会問題は、少女の強制結婚、子供の人身売買、不法移民など、日本にはなじみの薄いものが多い。それにも関わらず「他人事」に思えないのは、育児放棄や虐待のニュースが後を絶たない日本の現実と呼応するドラマでもあるからだ。ゼインは、「生まれてこなければよかった」という理不尽な思いにかられながら生きている世界中の子供たちの代弁者だ。彼の告発のまなざしは、「生まれてきてよかった」と言える社会を実現する責任があるすべての大人に向けられている。

ゼイン役のゼイン・アル=ハッジは、レバノンに逃れて来たシリア難民。過酷な日常をたくましく生き抜きながらも、自身の非力さと限界に突き当たり、涙する場面が切なさをかきたてる。彼を筆頭に、ほとんどの出演者は役柄と似た背景を負っているという。

| 世の中のこと | 19:42 | comments:6 | trackbacks(-) | TOP↑

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