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Crescent~小さくても光を受けている。きっと誰かに愛されているから~

本や子ども、聖書のこと、日々の徒然を書きます。トップの画像はその時々で変わります。

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「世界の一員」

 新聞を定期購読しています、その割合は減少していて、2019年年度では66.6%が定期購読しているようです。私の周りでも新聞を取ってないという人はいます。日々のニュースはネットでチェックしているようです。

 新聞がジャーナリズムとしての役割を果たしているかと言えば、物足りないものを感じます。ネットを見れば、主要ニュースを読むことはできます。

 ただ、なんとなく思うのは、新聞には色んな記事が掲載されているし、コラム欄もあるし、ネット利用だけよりは見聞が広まるのではないかと。

 新聞社や放送局の社長が首相と会食するようでは、ジャーナリズムとして分を果たしていないとは思うのですが、新聞を読むほうが、まだベターな選択肢かとは思っています。

 そんな新聞。ここ最近、スクラップする記事が多いです。連休でゆっくり新聞を読めた、というだけのことかもしれないのですが。
 
 今日5/8の朝日新聞に、ジャレド・ダイアモンド氏のインタビュー記事が掲載されていました。ジャレド・ダイアモンド氏と言えば、『銃・病原菌・鉄』が有名です。その著書の中で、彼は感染症が人類の歴史に大きな影響を与えてきたと指摘しています。「新型コロナウィルスも現代文明に大きな影響をもたらしますか」との質問に次のように答えていました。

 このパンデミックは、私たちに「世界レベルのアイデンティティー」をもたらす可能性があります。私たちには「米国人」 「日本人」といった国レベルのアイデンティティーはあっても、「この世界の一員」というアイデンティティーはありません。世界中の人々がその存在を意識し、かつ脅威となるような危機が存在しなかったからです。

 気候変動で人がすぐに死ぬことはありませんが、新型コロナは違う。新型コロナが全世界への脅威だと認識し、このパンデミックを通じて世界レベルのアイデンティティーを作り上げることができれば、この悲劇から望ましい結果を引き出せます。気候変動や資源の枯渇、格差、核兵器の問題の解決に向けて協力することも可能になるでしょう。


 「世界レベルのアイデンティティー」。一人一人、人はユニークな存在だけど、同じ地球という星に住む同じ人間、このことは皆に共通していること。

 
 こういう記事に出合えると、新聞は読み続けたいと思います。

| 新聞記事 | 20:01 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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憲法に守られている

 今日5/3 天声人語を転載します。(詩の箇所は改行しています)



詩人の故・佐藤正子さんは終戦の年のきょう5月3日に生まれた。戦後という歳月を同級の畏友にたとえて、語りかける。
〈同い年のあなたには 健康で長生きしてもらいたい〉 と。

東京生まれ。自分の2歳下、同じ5月3日に生を得た憲法を論じた詩もある。
〈手に余るものはなく、親切で行き届いている  《義務》には頷けるし 《権利》にも馴染んでいる 分け入るほどに 啓かれてゆく〉。
飾らぬ言いまわしだが、憲法の真価を端的に語って間然するところがない。

30年来の親交があった「詩と思想編集長、中村不二夫さん(70)によれば、社会派というよりは生活叙情派の詩人だった。 高校時代、実母の自殺に深く傷つき、初期の作品には喪失感がただよう。「詩境が変わったのは還暦を過ぎてから。 平和や戦後を題材にした作品に目を開かれました」

「愚行権」という詩は一読、忘れがたい。 善行、悪行ではなく
〈誰かが言ってた《愚行権 見事に 行使して きてしまった〉
〈それでも赦されて ここにいられるのは 先生や親友や家族 そして時代のお陰 それは《基本的人権》のお陰でもある〉

思えば、他人の「愚行」を指弾する声がやまぬ春である。感染症の猛威に誰もが浮足立ち、疑いの視線がとがる。そんないま、佐藤さんの詩の何編かに胸のつかえがスッと下りた。

憲法を「豊かな酸素の「森」にたとえた詩人は5年前、シンプ ルな訴えを残して旅立った。
〈護られていたのだ だから 護らなくては〉

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 憲法に守られてきた。まさしくその通りです。
 基本的人権の尊重、平和主義、国民主権が憲法の三原則。これに守られている。実際に体感することはないかもしれないけれど。でも、これを「無くそう」と発言したのが、長 勢 甚 遠(第一次ア ベ内閣法務大臣)氏です。
 
「国民主権、基本的人権、平和主義、これをなくさなければ本当の自主憲法ではないんですよ」
そして、驚くことにこの発言に対して拍手。(この発言の動画はyoutubeでは削除されていますが、ツイッターでは見ることができます。)

「押し付けられたから変えたい」というのは何の説得性もないです。改憲したい人には「押し付けられた」は口実にすぎないのでしょう。ただ、自分たちの好き勝手に変えたいだけではないでしょうか。

「大事なのは、押しつけかどうかではなくその中身だ、という論者がいます。それはその通りだが、もっと大事なのは、憲法をどう生かすかという、憲法の持ち方ではないですか。」(久野収)


憲法記念日の今日、憲法を読んでみよう。

| 新聞記事 | 12:50 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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一人一人に

もう5月。あれから2ヶ月。
食卓の横にななちゃんの写真を飾っていて、見る度に今でもやはりウルッときます。
自転車で買い物に行って、帰ってくるとき、家に近づくと、玄関先で日向ぼっこをしていたななちゃんの姿を思い出します。
出かけるとき、散歩に連れて行って貰えると思うのか、ドタドタと走ってくるななちゃんのかわいい姿を思い出します。
元気にしているかな。




4/29の朝日新聞「多事奏論」で、石牟礼道子さんの言葉が引用されていました。以下転載します。

今後、どういう方向に進みゆくのか。私の思うには、もっと厳しい混沌とした状態に陥ってゆくのではないかと。だが、その混沌はある意味無駄ではないとも思う。これを潜って、そこから何かを見つけ出すのではないか。今後、文明は明らかにこれまでと異質なものになっていくと思う。一国の文明の解体と創世が同時に来るような、それがいまという時ではなかろうか。(『3.11と私』)

 この石牟礼道子さんの言葉を引用して、記者は次のように書いていました。

 石牟礼さんがご存命なら、コロナ禍に混沌とする世界を見て、どう話されるだろうか。水俣以来、命をむさぼり欲望を追い求めたツケが、とうとう全世界に牙をむいて現れた、とおっしゃるのではないか。

 統御できない文明を営々と築いてしまった私たち――。解体か創世か、厳しい選択を迫られている。今をおいて命を背骨に据えた文明の創世が求められる時はない。


 “命を背骨に据えた文明の創世” それは一人一人にかかっているのだと思います。

 厳しい時代になっていくような気がします。その厳しい中にあって、自分はどうあるか。どうありたいか。
 人を思いやり、お互い支え合い、優しくあるのか。
 それとも、自分が辛いからと、我慢しているからと、攻撃的になるのか。
 どんな自分であるのか。それを選ぶのは私たち一人一人。
 

| 新聞記事 | 20:23 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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今考えたいこと

コロナウィルスに関連して、4/24 朝日新聞に掲載された、自由学園最高学部長 渡辺憲司さんの談話。

 ウィルスは肉体を、むしばむだけではない。精神や心をも侵してゆく。不安は、始まりに過ぎない。やがてそれは、他者への攻撃に向かう。それだけではない。自己の誇りや人間性も奪ってゆく。

 だからこそ、やさしさが必要だ。目の前の人にやさしさを向けよ。(略)

 想像力を働かせよう。病気になってしまって人を排除するのではなく、どんなに苦しんでいるかに思いをめぐらせる。閉鎖的な考えを打ち破り、危機を機会ととらえ、積極的に生きるのだ。


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 渡辺氏が語っていることは大切なことだと思います。コロナウィルスに関連してお店や宅配便の方に暴言を吐いたり、病院で働いている人たちを差別するような発言をしたりする人がいると聞くことがあります。

 「今は非常事態だから、仕方のないこと」と済ませてはいけない。そのことは、先日の藤原准教授の言葉からも明らかです。

 この談話の渡辺憲司氏は、東日本大震災のときに卒業生に向けて贈ったメッセージ「時に海を見よ」が有名です。そのメッセージはこの時にも訴えるものがあります。(全文はこちらで読めます)

 歴史上かってない惨状が今も日本列島の多くの地域に存在する。あまりに痛ましい状況である。祝意を避けるべきではないかという意見もあろう。だが私は、今この時だからこそ、諸君を未来に送り出したいとも思う。惨状を目の当たりにして、私は思う。自然とは何か。自然との共存とは何か。文明の進歩とは何か。原子力発電所の事故には、科学の進歩とは、何かを痛烈に思う。原子力発電所の危険が叫ばれたとき、私がいかなる行動をしたか、悔恨の思いも浮かぶ。救援隊も続々被災地に行っている。いち早く、中国・韓国の隣人がやってきた。アメリカ軍は三陸沖に空母を派遣し、ヘリポートの基地を提供し、ロシアは天然ガスの供給を提示した。窮状を抱えたニュージーランドからも支援が来た。世界の各国から多くの救援が来ている。地球人とはなにか。地球上に共に生きるということは何か。そのことを考える。

 泥の海から、救い出された赤子を抱き、立ち尽くす母の姿があった。行方不明の母を呼び、泣き叫ぶ少女の姿がテレビに映る。家族のために生きようとしたと語る父の姿もテレビにあった。今この時こそ親子の絆とは何か。命とは何かを直視して問うべきなのだ。



 健康を守られているなら、感染しないように注意することは勿論ですが、感染している人々がどんなに苦しんでいるかに思いをめぐらせるとともに、地球上に共に生きるということは何か、命とは何かを直視して問うべき時にいる。後伸ばしにしていては、もういけないと思う。

| 新聞記事 | 19:47 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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これから・・・

今日4/26の朝日新聞の寄稿がよかったのでシェアします。(写真をクリックすると、拡大されて読みやすくなります)

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「ワクチンと薬だけでは、パンデミックを耐えられない。言葉がなけければ、激流の中で自分を保てない。言葉と思考が強ければ、視界が定まり、周囲を見渡せる。どこが安全か、どこで人が助けを求めているか」

そんな言葉で読者に訴える藤原准教授の言葉に、もしかしたら、納得できないものを感じる人もいるかもしれません。
でも、「ワクチンと薬だけでは、パンデミックを耐えられない。」というのは、その通りだと私は思います。

この寄稿文の中で引用されている作家の方方(ファンファン)さんの言葉。

「一つの国が文明国家であるかどうかの基準は、高層ビルが多いとか、クルマが疾走しているとか、武器が進んでいるとか、軍隊が強いとか、科学技術が発達しているとか、芸術が多彩とか、さらに、派手なイベントができるとか、花火が豪華絢爛とか、おカネの力で世界を豪遊し、世界中のものを買いあさるとか、決してそうしたことがすべてではない。基準はただ一つしかない、それは弱者に接する態度である」


この寄稿文を書かれた藤原准教授は「B面の岩波新書」というサイトに『パンデミックを生きる指針』と題しても記事を書かれています。こちらもお薦めです。
「B面の岩波新書」サイトはこちら


早く収束してほしい。でも、収束して、はいそれでよし、とはならないでしょう。むしろ、その後に如何に向き合うかがより大事。
そう思う時、この国の今の首相には賢明な舵取りはできないことは明白。

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「1個も2個も一緒よ」

 今日1/18も阪神淡路大震災で被災した方の証が掲載されていました。

 震災当時4歳だった男性は、あの地震で両親と兄を亡くし、4人家族でただ1人残された。震災後、親戚宅に一時身を寄せた後は、神戸市に住む祖母に引き取られた。

 その祖母が、男性が中学2年生の時に癌でこの世を去った。また、独りになった男性は、そのまま祖母と暮らした家で、一人暮らしを始めた。

 学校で昼食にパンを買って食べていると、そのことを知った同級生の母親が「1個も2個も一緒よ」と言って、毎日お弁当を作ってくれた。
 魔法瓶のような容器に入った温かい味噌汁が、特に美味しく感じた。

 遅刻しがちな男性の家に毎日のように電話をかけて、起こしてくれた担任教諭。
 落ち込む姿を見てUSJに連れて行ってくれた親戚、晩ご飯の用意や洗濯をしてくれた親戚。

 親戚や先生、友人、その家族。そんな周りの人の支えがあったから、一人前に生きてこられた。そう男性は言います。


 この記事を読んで、また涙してしまいました。特に、友達のおかあさんの「1個も2個も一緒よ」との言葉には感動しました。
 そして、そのお母さんが温かい容器にお弁当を入れているということに、思いやりの深さを感じます。
 このお母さんが、男性の状況を知ったのは、多分、このお母さんの子どもが彼の様子を伝えて、何とかしてあげたい、そんな気持ちを伝えたのではないかって思うんです。

 
 マザー・テレサは「愛の反対は、無関心」と言いました。それは「愛とは、関心をもつこと」とも言い換えられると、このお母さんたちの言動を通して思いました。

 「独りじゃないよ。私(達)がいるから」。そう言って支え合うことのできる世の中でもあるんですよね。

| 新聞記事 | 19:18 | comments:4 | trackbacks(-) | TOP↑

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「共生とは」

 今日1/13日 朝日新聞に「共生とは」と題したコラムがありました。
 生後半年で全身の筋力が低下する「脊髄症筋萎縮症」を発症し、左手の親指以外動かせない方のコラムです。
 「世界初の寝たきり芸人」あそどっぐさんという方です。現在24時間介助を受けながら一人で暮らしています。

 コラムの一部を転載します。

  高校3年のときに先生から「進路指導を行わない」と言われました。「重い障害があると、卒業し見ても施設か家の中でずっと暮らすかの二つの選択肢しかない。だから夢を持たせるのはかわいそうだ」という意見があったそうです。障害があったら夢も描いちゃいけないのかとすごく落ち込みました。障害があるんだから仕方ないじゃないか。 それを良しとしている社会なんです。

 僕は20代後半から一人で暮らしています。一緒に住んでいた父が仕事で海外に行くことになって、母もついて行ってしまいました。
 「かわいそう」とか思う必要はないですよ。両親もいつまでもいるわけではない。それまで母が主に介助を担ってくれていたのですが、今はヘルバーさんが24時間見守ってくれています。

 すごく手間がかかりますけど、ないと生きていけない。 確かに介助には税金を使わせてもらっています。でも、僕は一度も歩道橋を使ったことがない。人によって必要なものは違うと思います。それは障害のあるなしに関係ない。一人で生きている人はいないのですから。

 「共生」って何でしょう。 ぼくは障害がある人もない人も一緒にいて一緒に育つことだと思っています。僕は障害があるけど普通に接して欲しい。 子どもの頃から付き合えば、どう接すればいいかわかるはずです。



 「夢を持たせるのはかわいそうだ」と言う高校の先生は、間違っていると思います。
 「夢」は自分で見つけて、持つものであって、誰かに持たせてもらうものではありませんし、誰かが判断するものでもありません。

 
 “確かに介助には税金を使わせてもらっています。でも、僕は一度も歩道橋を使ったことがない。人によって必要なものは違うと思います。それは障害のあるなしに関係ない。一人で生きている人はいないのですから。” 

 障害を負っている人に対して、「介助に税金を使って・・・」というような物言いを見聞きすることがありますが、みんなそれぞれに税金を使って何かの恩恵に与っています。

 一人で生きていける人はいない。それぞれに何かに支えられ、助けられて生きている。
 忘れてはいけないこと。

| 新聞記事 | 19:46 | comments:4 | trackbacks(-) | TOP↑

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