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Crescent~小さくても光を受けている。きっと誰かに愛されているから~

本や子ども、聖書のこと、日々の徒然を書きます。トップの画像はその時々で変わります。

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ことば

 次男がスマホを落として壊したので、新しいスマホを購入するために次男と一緒に家電量販店へ行きました。
 すると、担当の方が、
 「ご契約は奥様になっていますね」と。

 「ん?奥様?」 と一瞬頭の中は?マークに。
 
 「もしかして、私を次男の奥さんだと思っている?」
 次男は19歳。次男が老けて見えたか、それとも私が若く見えた?

 「私、そんなに若く見えたんだ」って思うと、一瞬嬉しくなったのですが、でも、「若く見えて」嬉しい、ということは、そう若くない、ということなんですよね。


 それはさておき、先日読んだ本にこんな言葉がありました。


日本語そのものを美しく育ててください。辞書は自然に美しく清潔になります。



 日本語そのものを美しく育てる。それは、自分が使う言葉を美しくしていく、ということ。そのためには、思いも美しくしていかないと。
 
 そうしていくと、身近にいる人の言葉も美しいものになっていくような気がします。

 この言葉は、『辞書になった男 ケンボー先生と山田先生』という本に記されていた、ケンボー先生(見坊先生)が語ったものです。
 この本のことをブロ友さんが紹介されていて、読んだらとても面白かったです。

 この本の影響を受けて、家にある国語辞典の序文を読みました。
 この本を読むまで、国語辞典に序文があることさえ気づきませんでした。

 家にある国語辞典(中学生向きの辞典)の序文は次のように締めくくられていました。

 ふだんわたしたちは、たくさんの書きことばや
 話しことばに出会っています。
 目や耳に入ってくることばのすがたを深く丁寧に探っていき、
 その先にある広大なことばの世界を見渡すことができれば、
 もっともっと上手にことばを使えるようになるはずです。


 
 この序文は中学生向けなので、やはり大人向けのものも読んでみたい。
 それで今、どちらの辞典を購入しようかと思案中です。

 『新明解国語辞典』


 『三省堂国語事典』



 この二冊の特性や成り立ちを是非とも知りたいと思ったら、ぜひ読んでみて下さい。面白いです。

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何歳になっても生き生きと

 『還暦からの底力』読みました
 著者の考えに賛同できない部分もありますが、読んでよかったと思える本です。



 還暦後、こうしたらいいよ、みたいなhow to本ではありません。
 そういう指摘ではなく、日本の過去を少しばかり振り返りながら、日本の現状について言及しています。
  
 
 四捨五入すると還暦になる年齢になって、時々ふっと思うんです。
  「あと何年ぐらい働けるかな」
  「仕事を辞めても、ちゃんと暮らしていけるかな」
 そんなことを。

 どこかに不安を感じます。日本の現状を考えると。

 日本の現状というか、今の政府に対して、「これではいけない」と著者も感じているのではないでしょうか。
 それは次の言葉に表れていると思います。

 
 良い政府をつくるのは、選挙権を持っている皆さんです。ぜひ選挙に行って投票してください。
 政府と市民は対立するものではなく、政府は私たちが選挙を通じてつくっていくものなのです。


 良い政府をつくるため、それもある。
 さらに何歳になっても生き生きと生きていくためにも、著者は教養の大切さを繰り返し述べています。その教養について、教養=知識×考える力 と定義しています。

 その教養はどのように培われていくのか。著者は「人・本・旅」に出会い、好きなことにチャレンジをしていくと言います。
 旅はそうそうできるものではないですが、人や本に関しては、日頃からできること。

 何歳になっても学び続ける姿勢を持ちたい。そう前向きになれる一冊です。

 この本を読んで思ったのは、母のことです。
 現在82歳ですが、今でもアマチュアのボーリング選手。
 先日も「今度の日曜日はシニアの試合があるから行ってくるわ」と言ってました。
 カーブスという女性だけのフィットネスにも通っていて、体年齢の測定で40代後半と出たらしくて、スタッフの人も驚いていたとか。
 
 本を読むということは、ほとんどしない母ですが、友達は多い。好きなことをガンガンして、楽しんでいる。
 
 心から楽しめることがある、というのは幸せなことだと思います。
 といことは、私もそうなんだ。
 
 子ども達が還暦を迎える時にも、好きなことが何歳になってもできるような社会であってほしい。 
 

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『典獄と934人のメロス』

 これは本当によかった。史実に基づいた『典獄と934人のメロス』。



 この本の前に『永山則夫 封印された鑑定記録』を読んだこともあって、もしも、永山則夫が初めて捕まった時に、この典獄、椎名通蔵のような所長がいるような刑務所に収容されていたなら、あのような犯罪は起こさなかったのではないかと思えます。

 太宰治の『走れメロス』は有名です。この本によると、934人のメロスがいました。

 この本の背景は、関東大震災が発生した1923年9月1日、横浜刑務所。当時そこにいは1131人の囚人が収容されていました。
 この大震災で横浜刑務所の外塀は崩壊し、火災も発生。食糧もままならない。囚人の避難も不可能。
 横浜刑務所の典獄(現在の刑務所長)、椎名通蔵(当時36歳)はそういう状況を考え、24時間に限り囚人を解放することに。この解放は監獄法で定められていました。
 かくして、震災による死者と近くに家族のいない者、怪我で動けない者等を除いた934人が解放されました。

 934人が解放されてから、戻ってくるまで。そして、戻って来てからの事が書かれています。 
 
 934人のメロスの一人、福田達也。彼は無実の罪を着せられて服役中。彼は約40キロ離れた実家へと向かう。家に辿り着いて、妹の友人とその母親が倒壊した家の下敷きになっていることを知る。18歳になる妹のサキに、彼女達を救助してほしいと頼まれる。しかし、救助していたら、約束の24時間以内には戻れなくなってしまう。

「お兄様、わたしのわがままな願いをどうかお聞きください。典子さんとお母様を助けていただきたいのです。横浜への帰りが遅れれば、お兄様がお困りになるのはよくわかっています。でも、お兄様。もし、典獄様が事情をお知りになれば、きっと、『人助けをせよ』とおっしゃるのではないでしょうか」。

「そうか、そうだな。逃走罪に問われても刑務所からの帰りが1年遅くなるだけのことだ。困っている一家を見捨てることのほうがよほど罪深い」

「ありがとうございます、お兄様。けれども典獄様にはお帰りが遅れる理由をお知らせしなければなりません。お兄様は逃げるわけではないのです。理由を手紙にお書きください。わたしが必ず定刻までに典獄様にお届けします」
 そして、達也が刑務所の戻るまで、彼の代わりにサキが横浜刑務所まで走る。約40キロの道のりを。
 サキが着いたのは午後7時10分。約束の6時半迄にはたどり着けなかった。でも、椎名は懐中時計を取り出して言った。

 「おお、間に合った!」。椎名はサキに時計を見せた。サキの顔が瞬時に嬉しそうな笑顔に変わった。何と、針は6時半丁度を指していた」。



 934人全員が約束の24時間以内に帰還したわけではないけれど、でも、最終的には全員が帰還しました。自分たちを信じてくれる椎名の信頼を裏切らないために。

 この典獄、椎名通蔵は「囚人に鎖と縄は必要ない。刑は応報・報復ではなく教育であるべきで、その根底に信頼がなければならない」と考え実践しました。
 また、「無知は犯罪を招くが、教養と知への渇望は更生につながる」とも考えていました。
 

 この椎名通蔵は、戦時中も囚人に温情ある処遇を与えていたそうです。でも、捕虜虐待等の戦犯として三人の部下とともに逮捕されました。何故逮捕されたのか、本より転載します。
捕虜虐待等の戦犯として三人の部下とともに逮捕された。大阪刑務所で米軍捕虜八名を収容した際、食習慣・文化の違いが虐待とされた。たとえば人参とごぼうのきんぴらを食事に供したところ木の根を食べさせたとされ、これも罪状のひとつに上げられたのである。

 司法省はGHQから捕虜虐待、ならびに戦争に加担した刑務作業の責任を負わせる人物を出せと命じられていた。本来ならば行刑局長が名乗り出るのが相当なところ、勅任官(明治憲法下で天皇の勅令によって任用される高等官史)の椎名に白羽の矢が立った。

 椎名は、何ひとつ弁解をせず重労働十二年の判決を受け入れ、巣鴨プリズンで服役した。昭和21年7月のことであった。
 昭和27年2月に出獄。郷里の山形県寒河江で余生を過ごし、東京オリンピック開催直前の昭和39年11月に逝去した。享年78。


 そして、
家訓の「小人は己を利せんと欲し、君子は民を利せんと欲す」は西郷隆盛の言葉だが、その西郷と同じように汚名をそそぐこともせず、終生寡黙を通し、書き物も何一つ残していない。
と結ばれていました。

 
  信頼することは、信頼されているという確信をやがて与え、信頼を裏切りたくないという思いを与えていく。そして、それは人格というものを高めていく。そのことを本の中に見出すことが出来ます。

 お薦めの本です。読み出したら止まらない。

 
 

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どうしても必要なもの

  『永山則夫 封印された鑑定記録』を読みました。
 著者は堀川惠子さん。好きなノンフィクション作家の一人です。彼女の本を数冊読んでいますが、この本からも、多大なエネルギーを注いで彼女がこの本を執筆されたかがひしひしと伝わってきます。



 永山事件。その名前だけは耳にしたことがありますが、具体的には知りませんでした。

 永山則夫が起こしてしまったことについては、決して許されるものではありません。でも、この本の前半部分を読んでいると、彼の置かれた環境にただただ言葉を失いました。こんな悲惨な劣悪な家庭環境の中で育った人がいたことに、衝撃を受けました。
 
 北海道網走生まれ、8人兄弟姉妹の下から2番目。父親は戦争が始まるまではリンゴ園の指導員をしていた。ただ、戦争が終わり、帰ってきてからは、お酒を酷く飲むようになり、止めていた博打打ちまでするようになり、一家の暮らしは厳しいものになっていく。

 そんな中、母親一番下の女の子と、1歳の孫(長男の子ども)と、その子ども達の世話をするために次女を連れて、青森へと行ってしまう。他の子ども達を残し、1週間分の食糧だけを置いて。

 そして、母親は子ども達をそのような形で捨てたことに、何の罪悪感ももっていない。
 調べていくと、母親もまた両親から虐待を受け、尼港事件の生存者の一人であったという。

 残された永山則夫は長男と次男から度々暴力を受ける。学校にもほとんど通っていない。唯一長女だけが彼に優しかったが、あることで精神に異常をきたし、病院に入退院を繰り返す生涯を送ることになる。

 永山則夫は家族とさえも人間関係を築けず、成長していく。

 ちゃんと生きていこう、そう思って頑張っても、ふとしたことでつまずいてしまう。被害妄想に捕らわれ、人を信じることができず、懐疑的にしか考えられず、4人の命を奪ってしまう。

 彼の生まれ育った環境があれほどまでに過酷でなければ、一人でも相談できる人がいれば、あの事件は起こらなかったのではないか。

 
 この本を読んでいて、途中ぐらいから、読むのが苦しくなりました。初めのうちこそ永山則夫の置かれた環境に同情を覚えましたが、彼のあまりにも被害妄想的な思考に、同じような事を繰り返し起こしてしまう彼の姿に、しんどさを感じました。

 でも、最後まで読み進めて、やはり、彼だけを責めることはできませんでした。犠牲となった方々のことを思うと、それは不謹慎なことなのかもしれませんが。

 
 278日間に渡り永山則夫と向き合い、鑑定記録をとった石川医師の言葉を少し転載します。


「人が努力をしようという意欲を出すこと、つまり努力のエネルギー源は、愛情とか褒められるとか尊重されるとか、そういうものがなければ続かないし実らないんです。(中略)

 永山はそういう基盤をまったく持たない上で、努力だけで自分を一人前にしようとするわけですが、やはり空回りで続かない。もっと悲惨な状況になっていく。いわば人間の根っこです、基本的信頼感とも基礎的信頼感とも言いますが、それがなければ人間は成長できいし努力もできない。私の診療でも、最近はそういう子が多いですね。親子の関係が希薄で、パソコンや携帯電話に熱中して他人と付き合わない。生の人間関係とか働くとかスポーツするとか、そういう体験がないと人間的になりにくいですね。バーチャルな、非現実的な世界で遊んでいても、現実で自立しようとした時に心の栄養にはならないですから。」




「調べれば調べるほど、本当の凶悪犯なんて、そういるもんじゃないんですよ、人間であれば……」




最後に、著者の言葉を。

 この歪んだ厳しい社会の中で、足を踏ん張り根を張って生きていくには、人と人の繋がりがどうしても必要です。弱ければ、弱いもの同士で手を繋ぐことが出来るはずです。その絆の最も小さな単位が、家族です。自分の手の届く場所にいる、かけがえのない家族に向き合うという最も基本的なことは、もう少し重きをもって捉えられてもよいのではないでしょうか。社会をより良いものにしていくという途方もなく大きな目的のために、あらゆる人が今すぐに出来ること、そのひとつが自分の家族、またはそれに代わる存在との関係を見直すことではないでしょうか。

 しかし、あまりに近く深い関係は、時に望まぬ方向へと作用することがあります。日本の殺人事件のほぼ半数が家族によるものという現実は、その関係が潜在的に併せ持つ複雑さを暗に示しています。苦しみを解決するための万能な処方箋は無く、手探りで、時には傷つけ合いながら糸口を探らなくてはならないこともあるでしょう。それでも、家族との関係をうまく結べない時、第三者の存在によって救われることもあります。「この時、この出逢いがあったから」という宝物を得た人は、たとえそれが家族でなくても道を切り拓いてゆけるはずです。周りの人の心に無関心でいなければ、自分がその第三者となることもあるでしょう。網の目のような強く頑丈な絆でなくても、たった一本でも、真に誰かと繋がってさえいれば人は生きてゆけるし、命を奪うまで、他者を傷つけることも出来ないのではないでしょうか。



 人と人との関係が希薄になってきていると言われています。自分のことに精一杯で、他人のことまで気遣っていられないかもしれない。

 でも、著者が言うように、自分の手の届く場所にいる人に、もう少し重きをおいていかなくては。そして、真に誰かと繋がっている、その実感を、心の奥深くでもいいから感じられるように。

 時に読むのが苦しくなりましたが、読み終わって涙を禁じえませんでした。

 人が生きて行く上で、必要なもの、大切なものは色々とあります。でも、どうしても大切なものは、やはり「愛されている」という確信。

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本のこと

 本を読むのは好きです。ただ、その範囲は狭かった。本を読むことに対する視野が広まったというのか、範囲が広がった、その契機になったのは、河合隼雄さん。

 子どもが幼稚園、小学校低学年の頃、子育てに関する本を読みあさっていたのですが、その中で河合隼雄さんが好きになり、何冊か読みました。すると、河合隼雄さんの著書の中で柳田邦男さんに言及することが結構あって、柳田邦男さんの本を読んでみました。

 すると、もう柳田邦男さんにはまり、そこから読書の幅がぐんと広がっていきました。柳田邦男さんを通して、フランクル、林竹二、灰谷健次郎、田中正造、星野道夫等々、本当に多くの本に出逢えました。

 その柳田邦男さんが、朝日新聞で毎週土曜日に掲載される本の欄で寄稿していました。

 そこで柳田邦男さんが紹介していた絵本は4冊。
『めを とじて みえるのは』
『あさになったので まどをあけますよ』
『100年たったら』
『最初の質問』

 『最初の質問』以外は、まだ読んだことがありません。柳田邦男さんの紹介がとてもよくて、どの本も読みたくなります。
その柳田邦男さんが最近、『人生の1冊の絵本』を出されました。
 ここでも多くの絵本を紹介しているのですが、読んでない本はどれも読みたくなってしまいます。

 『めを とじて みえるのは』の一節が紹介されていました。

 パパが「さあ、もう ねなさい」というと、子どもは尋ねます。
 「どうして、ねなくちゃ いけないの?」

  我が子に「どうして、寝なくちゃいけないの?」って聞かれたら、私だったら、「寝ないと体に悪いから」とか、「寝ることは脳にとてもいいことだから」とか、そう答えます。そう子どもに答えてきてから。

 でも、この絵本のパパは違います。

 「それはね、めを とじたときにしか みられない、すばらしい ものが あるからだよ」

 子どもの想像をかき立てるようなパパの言葉。寝るのが楽しくなりそうな言葉がけ。
 想像力が豊かとはこういうことでもあるのですね。 

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久しぶりの星野道夫さん

 職場で、見えない所で何かとあって、気持ち的に少々疲れたこの1週間。
 それでも、今日も図書館へ。そして、このちょっと疲れた心を癒してくれる本を借りようと思いました。
 その時に真っ先に思いついたのが、星野道夫さんの本。彼の写真とエッセイが載っている本。星野道夫さんの本は何冊か読んできているので、できれば今までに読んだことのないものをと思い、書棚の間をウロウロ。

 そして、目に飛び込んできたのが、この本です。



 星野道夫さんと言えばアラスカですが、この本はアフリカへ紀行。

 表紙をめくって、最初の言葉。

どれだけ違う世界で生まれ育とうと、
私たちにはある共通する一点で同じ土俵に立っている。
それは、たった一度の一生をより良く生きたいという願いなのだ。
そう思った時、異国の人々の風景と自分が初めて重なり合う。

 冒頭のこの一文を読んだだけで、星野ワールドへと誘われます。

 星野さんがアラスカからチューリッヒ行きの飛行機の中で感じたことを、次のように綴っています。

 今の時代、アフリカに行くなんて何も珍しいことではないのだろうが、アラスカをほとんど出たことのないぼくにとって、そこは遠い大陸だった。その遠さは、できるだけ大切にしたい感覚でもあり、旅慣れなんてしたくなかった。世界とか、地球とかいう言葉に、無限の広がりを感じていたいのである。



 ちっちゃな社会の中で日々を過ごしているから、閉じた中で過ごしているから、星野さんの文章を読んだり、写真を見たりすると開放された気持ちになれるのかな。

 読み始めたばかり。しばらく、星野さんのナビゲートで本の中で小旅行を楽しもう。 

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『13坪の本屋の奇跡』

本屋さんと本が好きな人には、お薦めの本です。読み出したら止まらない。



この本の副題は、
「闘い、そしてつながる」隆祥館書店の70年。

 本書を読み終わって、まさしくその通りだと思いました。

 町の本屋さんが減ってきています。その要因は本離れとamazon等のネット書店だと思っていました。でも、それだけではない。
 本の流通システムがよくない。取次配本、そのランク配本と見計らい本。詳細はこちのら記事を是非読んでみてください。「なぜ書店にヘイト本があふれるのか。理不尽な仕組みに声をあげた1人の書店主」

 そんな理不尽に対して声を挙げ、闘ってきた隆祥館書店。父、娘の2代の店主に密着して描き出されているものは、時に読む者の胸を熱くします。
 
 現店長の二村知子さんは「日本一お客を知る店員」とも言われているそうです。約1500人の顔と嗜好を覚えていて、「この本だったら、○○さんも好きなのではないでしょうか」と、本を薦めることもあるそうです。

 また、この書店では2011年から「作家と読者の集い」を開催しています。小出裕章氏、鎌田實氏、内田樹氏をはじめとし、錚々たる人が来ています。しかも複数回来る人たちも。その集いの様子も収録されているのですが、それがまた本当に面白そうで。

 
 amazon等のネット書店でポチすれば、翌日か翌々日には届きます。とても便利です。近くの書店が閉店してからは、利用頻度も高くなりました。
 でも、本を読むのって、そんな「直ぐ」で「便利」ばかりの上にあるのは、ちょっと違うのかもしれない。

 隆祥館書店のような書店は珍しいかもしれません。でも皆無ではない。こんな書店だったら、“つながる”ことができると思います。本とつながり、本好きな他の誰かと。

 隆祥館書店のような書店が近くにあれば、結構な頻度で立ち寄るような気がします。

 そしてまた、この本を読めば、読みたい本がきっと増えます。本を巡る素適な旅をしたような感じです。 

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