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Crescent~小さくても光を受けている。きっと誰かに愛されているから~

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新聞もいいよ

昨日1/7の朝日新聞 「折々のことば」は坂口安吾のことばでした。

限度。学問とは、限度の発見にあるのだよ。

 この言葉に続けて、鷲田清一さんが次のように解説していました。

 原子爆弾という、人間の制御を超える装置を発明するのは学問ではない、「子供の遊び」だと作家は言う。おのれの限界をはみ出る「大ゲサ」な夢想にのぼせず、せいぜい数十年しか生きられない有限な個人として、みずから責任をとれるところでその義務を全うすること。そこに人の「戦い」がある。人はそれに勝てずとも、負けはしないと。論考「不良少年とキリスト」から。

 「せいぜい数十年しか生きられない有限な個人として、みずから責任をとれるところでその義務を全うすること」という、鷲田清一さんの言葉が心に残りました。
 渡辺和子シスターがよく引用されていた 「置かれた所で花を咲かせる」ということと、根底に流れるのは似ているのではないかと思います。

 「花を咲かせる」というと、華やかな何かを思い浮かべてしまいます。義務を全うすることができてこそ花を咲かせることができるのだと、そんな当たり前の事に今更ながら気がつきました。


 隅から隅まで新聞を読んでいるわけではありませんが、一応全ページに目は通します。“最近の報道機関はなっていない、事実をしっかりと伝えないから” “新聞よりネットの方が便利”と、新聞は読まないという声を耳にすることがあります。そういう面は確かにあると思います。ただ、そうかもしれないけれど、新聞を通して知ることのできる世界があります。

 例えば「私が変える ~My Revolution~」という連載(今日でこの連載は終わりました)。この連載は、「これはおかしい」と思い、自ら立ち上がり声を上げ、その状況を変えていった、あるいは変えていこうとしている一人の市民を取りあげていました。

 第1回目はケニアでポリ袋を追い出した男性の話。
 第7回目の昨日は、パレスチナで新たな事業を興し、荒廃からの再生をめざす女性の話。
 最終回の今日は、ボスニア・ヘルツェゴビナで息子の不審死(おそらく当局による殺害)をきっかけに、政治腐敗に抗議を始めた父親の話。ただ、この父親は逮捕された後一旦釈放されてから行方は分かっていないということです。

 こんな世界のどこかの小さな(本当は小さくない)出来事を知ることができるのは、ありがたいです。特に今回のこの連載は、サイードが引用していた「意志の楽観主義」という言葉を思い起こさせてくれました。

 ネットは便利です。 でも、新聞もいいよって私は思います。 ただ、YとS新聞に関してはそうは思いません。バイアスがかかりすぎているかもしれませんが。

| 新聞記事 | 20:08 | comments:2 | trackbacks(-) | TOP↑

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