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Crescent~小さくても光を受けている。きっと誰かに愛されているから~

本や子ども、聖書のこと、日々の徒然を書きます。トップの画像はその時々で変わります。

2019年12月 | ARCHIVE-SELECT | 2020年02月

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今日から

 訳あって長男が寮を出て、自宅から大学に通うことになりました。思うところがあって、長男と夕食後に聖書を読んだり、賛美をしたりすることにしました。

 今日がその第1回目。

あすのことを誇るな。一日のうちに何が起こるか、あなたは知らないからだ。(箴言第27章)

 ある信仰書にはこの箇所について、次のように書かれていました。

 ともすると、明日があるからということで今日をいいかげんに過ごしやすい。
 私たちの人生は明日の積み重ねでなく、今日の積み重ねであることを思うと、今日を、今をいい加減に過ごすことは、いい加減な一生を送ることになってしまう。
 大事なのは今をどのように生きるかということ。


 
 似たような文言を何度も見聞きしてきましたが、日々の生活の中でついつい忘れてしまいます。
 
 私たちの人生は、今日の積み重ね。忘れずに。

| 本・信仰書、キリスト教 | 19:44 | comments:4 | trackbacks(-) | TOP↑

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「1個も2個も一緒よ」

 今日1/18も阪神淡路大震災で被災した方の証が掲載されていました。

 震災当時4歳だった男性は、あの地震で両親と兄を亡くし、4人家族でただ1人残された。震災後、親戚宅に一時身を寄せた後は、神戸市に住む祖母に引き取られた。

 その祖母が、男性が中学2年生の時に癌でこの世を去った。また、独りになった男性は、そのまま祖母と暮らした家で、一人暮らしを始めた。

 学校で昼食にパンを買って食べていると、そのことを知った同級生の母親が「1個も2個も一緒よ」と言って、毎日お弁当を作ってくれた。
 魔法瓶のような容器に入った温かい味噌汁が、特に美味しく感じた。

 遅刻しがちな男性の家に毎日のように電話をかけて、起こしてくれた担任教諭。
 落ち込む姿を見てUSJに連れて行ってくれた親戚、晩ご飯の用意や洗濯をしてくれた親戚。

 親戚や先生、友人、その家族。そんな周りの人の支えがあったから、一人前に生きてこられた。そう男性は言います。


 この記事を読んで、また涙してしまいました。特に、友達のおかあさんの「1個も2個も一緒よ」との言葉には感動しました。
 そして、そのお母さんが温かい容器にお弁当を入れているということに、思いやりの深さを感じます。
 このお母さんが、男性の状況を知ったのは、多分、このお母さんの子どもが彼の様子を伝えて、何とかしてあげたい、そんな気持ちを伝えたのではないかって思うんです。

 
 マザー・テレサは「愛の反対は、無関心」と言いました。それは「愛とは、関心をもつこと」とも言い換えられると、このお母さんたちの言動を通して思いました。

 「独りじゃないよ。私(達)がいるから」。そう言って支え合うことのできる世の中でもあるんですよね。

| 新聞記事 | 19:18 | comments:4 | trackbacks(-) | TOP↑

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25年・・・

 1月17日。阪神淡路大震災から今日で25年。四半世紀が過ぎました。
 あの日のことは今でも鮮明に覚えています。目が覚めてベッドから出ようとしたら、上下に激しく揺れを感じて、ベッドの上で動けませんでした。
 「死ぬかもしれない。でも、天国に行くだけだから」と、そう言い聞かせていました。

 私が当時住んでいた吹田市はそう大きな被害はなく、震災後神戸市の方にボランティアに行きました。その時に見た神戸市、途中に通った西宮市、宝塚市の光景に、言葉を失いました。
 
 私の近しい人は、あの地震で誰も亡くなってはいませんが、多くの人が大切な人を喪いました。1月17日が近づくとその人達の体験が新聞に掲載されます。

 今日の朝日新聞の第一面には、あの日に1歳1ヶ月の長男を亡くした女性の体験が掲載されていました。

 震災前夜、断乳しようと、おっぱいをあげなかった。長男は代わりに母親のほっぺたをチュッチュと吸いながら1階の部屋で寝入った。
 翌朝、激しい揺れで2階部分が崩落。女性は奇跡的に助かったけれど、長男はタンスの角に横腹を圧迫されたようで、助からなかった。

 この記事を読んだら涙が止まりませんでした。
 この女性は、震災で多くの人に助けられてきた分、各地の被災地でボランティアをして恩返しをしたかったけれど、揺れるとパニックになるため、現地入りできず、歯がゆい思いをしてきたそうです。

 でも、ある時、再婚したご主人に「25年後、幸せに笑うあなたのような人がいるんだと知って、一人でも希望を持ってもらえるなら、それも恩返しじゃないの」と言われたそうです。

 
 この震災で自ら被災しながらも、精神科医として避難所などで救援活動を続けた安克昌さんの言葉も紹介されていました。

「心の傷は『癒やす』んじゃない。『癒える』んだ。それを手伝う、寄り添って見守ることが医者の仕事」
「心のケアって何か、わかった。誰も独りぼっちにさせへん、ってことや」


 この安克昌さんの言葉のように、あの震災で長男を亡くした女性の心は癒えていったんじゃないかなって思いました。


 寄り添ってくれる誰かがいる。人が生きて行くうえで、大切な大切なこと。

| ひとりごと | 19:21 | comments:2 | trackbacks(-) | TOP↑

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「共生とは」

 今日1/13日 朝日新聞に「共生とは」と題したコラムがありました。
 生後半年で全身の筋力が低下する「脊髄症筋萎縮症」を発症し、左手の親指以外動かせない方のコラムです。
 「世界初の寝たきり芸人」あそどっぐさんという方です。現在24時間介助を受けながら一人で暮らしています。

 コラムの一部を転載します。

  高校3年のときに先生から「進路指導を行わない」と言われました。「重い障害があると、卒業し見ても施設か家の中でずっと暮らすかの二つの選択肢しかない。だから夢を持たせるのはかわいそうだ」という意見があったそうです。障害があったら夢も描いちゃいけないのかとすごく落ち込みました。障害があるんだから仕方ないじゃないか。 それを良しとしている社会なんです。

 僕は20代後半から一人で暮らしています。一緒に住んでいた父が仕事で海外に行くことになって、母もついて行ってしまいました。
 「かわいそう」とか思う必要はないですよ。両親もいつまでもいるわけではない。それまで母が主に介助を担ってくれていたのですが、今はヘルバーさんが24時間見守ってくれています。

 すごく手間がかかりますけど、ないと生きていけない。 確かに介助には税金を使わせてもらっています。でも、僕は一度も歩道橋を使ったことがない。人によって必要なものは違うと思います。それは障害のあるなしに関係ない。一人で生きている人はいないのですから。

 「共生」って何でしょう。 ぼくは障害がある人もない人も一緒にいて一緒に育つことだと思っています。僕は障害があるけど普通に接して欲しい。 子どもの頃から付き合えば、どう接すればいいかわかるはずです。



 「夢を持たせるのはかわいそうだ」と言う高校の先生は、間違っていると思います。
 「夢」は自分で見つけて、持つものであって、誰かに持たせてもらうものではありませんし、誰かが判断するものでもありません。

 
 “確かに介助には税金を使わせてもらっています。でも、僕は一度も歩道橋を使ったことがない。人によって必要なものは違うと思います。それは障害のあるなしに関係ない。一人で生きている人はいないのですから。” 

 障害を負っている人に対して、「介助に税金を使って・・・」というような物言いを見聞きすることがありますが、みんなそれぞれに税金を使って何かの恩恵に与っています。

 一人で生きていける人はいない。それぞれに何かに支えられ、助けられて生きている。
 忘れてはいけないこと。

| 新聞記事 | 19:46 | comments:4 | trackbacks(-) | TOP↑

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♪主の愛が今

 大好きな賛美の一つに「主の愛が今」というのがあります。

 教会では、ずっと歌い継がれている賛美歌や聖歌だけでなく、この「主の愛が今」のように現代に作られた、プレイズソング、ワーシップソングという賛美も歌われています。

 

 初めてこの歌を歌ったとき、泣きそうになりました。そして、今でも口ずさむと、こみあげくるものがあります。

♪ 主の愛が今 ♪
主の愛が今 あなたを包む
打たれた傷も 癒やされる
主の愛が今 あなたを包む
嘆き悲しみ 逃げ去る

傷ついた主の愛の手が動き
あなたの上に留まる
全能の主の愛の手が包み
あなたの心を癒される



 このような賛美を作ることができたらいいなって思います。

| 聖書・信仰 | 19:08 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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『医者よ、信念はいらない、まず命を救え!』

『医者よ、信念はいらない、まず命を救え!』(中村哲 著)を読みました。



 教えられたこと、気づかされたことはいくつかありますが、その中の一つを書きます。

 この本のタイトルを読んだときに、「信念はいらない」との言葉が腑に落ちませんでした。「信念」は必要ではないかと。でも、この本を読んで、中村哲さんがそう言う理由に納得しました。

 その部分を転載します。

 ・・・人間的な温かさが大事なんじゃないでしょうか。多少は人の身になって考え、しかたがねえなと思いながらも、なんかちょっとでもいいから、こうしてやったらいいだろうなという気持ちがあるかないかでずいぶん違うんじゃないかと思います。それを飾って言うから、信念がどうのこうのだとか最近の若いのはどうのこうのという話になってくるわけですよ。私に言わせると、ブッシュもヒットラーも信念の人で、こんな信念はいただけません。そうではなく、ある事情におかれたときに、その人間を信頼して任すだとか、こうしてあげたらこの人たちにはいいのではなかろうかと温かい気持ちをもつ、それが大事ではないかと思います。



 「信念」にもいろいろある。それは、当たり前のことなのですが、「信念」というだけで、なんだかいいものだと思い込んでしまう、そんなところがありました。

 難しく言うのではなくて、身近な誰かのために、なんとかしてあげたいと、その人の身になって考え行動する。

 この中村哲さんの言葉も目から鱗でした。

| | 19:49 | comments:4 | trackbacks(-) | TOP↑

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「いのちの誕生」

 今朝、奥田知志牧師のクリスマス礼拝でのメッセージを視聴しました。
 説教題は「いのちの誕生―クリスマスの原点」。



 「なぜ、クリスマスおめでとう」なのか。
 クリスマスは救いの御子・イエス・キリストが生まれた日。
 私たちを罪から救う救い主が生まれたから、「クリスマスおめでとう」。
 でも、それだけでいいのか。クリスマスの原点は何なのか。その意味をもう一度見直したい。

 クリスマスの原点、それは、“あの日、新しい命がこの世に誕生した”ということではないか。

 救い主が生まれたから嬉しい、おめでたい。確かにそうだが、それだけでいいのか。一足飛びにそう言っていいのか。
 「新しい命がこの世に生まれた」、そのことを喜ぶ。そのことに最大の価値を見出す必要があるのではないか。

 私にとっていいことをしてくれた、利益があるからおめでとう、ありがとう、ではない。最終的には確かにそうだけれども、その原点は、「新しい命が生まれた」「そこに命があった」ということではないか。

 命が誕生したことに対して、「おめでとう」 これがクリスマスの原点ではないだろうか。
 
 価値のない、役に立たない人間は必要ない。そう考える人がいる。

 私たちは、命プラスアルファのところしか見ていないか。
 そしてまた、自分自身に対しても、そう見てしまってはいないか。自分はそういう価値を持っている人間かと。

 生きていること自体に、命そのものに圧倒的価値がある。
 命そのものを喜べる私たちでいよう。



 説教は28分過ぎから始まります。

| 聖書・信仰 | 18:55 | comments:4 | trackbacks(-) | TOP↑

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新年おめでとうございます

 新年おめでとうございます。2020年が始まりました。

 元日と言えば、次男の誕生日。18歳になりました。今回も恒例のバースデーケーキを作りました。

 下の台にクリームとフルーツをたっぷりのせます。

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 上はこんな感じに。クリームが余ったので、適当にのせてみたけれど、センスの欠片もない・・・。

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 年賀状は今年はいつもより少なめ。職場で年賀状のやり取りはしないことになったので、その分が減りました。
 ヤマトクルーの会員なので、事務局から年賀状が届きました。年始から古代君!

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 今年もまたヤマトイヤーとなりそうです。それにプラス、マッチイヤーになるかも。pen1_03喜pen1_16萌


 今年もどうぞよろしくお願いします。
 
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| 今日の出来事 | 16:34 | comments:4 | trackbacks(-) | TOP↑

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