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Crescent~小さくても光を受けている。きっと誰かに愛されているから~

本や子ども、聖書のこと、日々の徒然を書きます。トップの画像はその時々で変わります。

2020年03月 | ARCHIVE-SELECT | 2020年05月

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奥田牧師のメッセージ

 先日の日曜日も奥田牧師の礼拝のライブ配信で礼拝をもちました。

 “ステイホーム” が言われています。感染しないため、させないため。
 その“ステイホーム” プラス、“フロムホーム”、家からできることをしようではないかというメッセージが冒頭にありました。
 
 家で、家からできること。何があるだろうか。
 あるブログ主さんは布マスクをたくさん作って、寄付をされています。
 
 “ステイホーム” と言われるけれど、ステイする家さえない人たちがいます。そういう方達の支援も奥田牧師はされています。
 それをサポートするのも、家からできること。

 考えればできることは他にもあるでしょう。できることをやっていきたい。



 そして、もう一つのメッセージ。それは、どういう観点から物事を見るか、ということ。
 コロナウィルスは確かに怖い。もう世界は終わってしまうんじゃないかって思ってしまう人もいるかもしれない。

 もっと大きなスケールで考えよう、見てみようと牧師は語られました。
 
 聖書からの話になります;
 イエス様が十字架にかけられて後、二人の弟子がエマオへと向かっていました。その途上、イエス様のことを話していました。
 そこにイエス様が近づいてきたけれど、悲しみでいっぱいだった二人には、それがイエス様だとは分かりませんでした。
 そんな二人に、イエス様はモーセのことから始めて、神のご計画について話しました。そして、二人と共に食事をするときに感謝を捧げたイエス様に、それがイエス様だと分かった。

 弟子達は3日間の出来事だけを見て、イエス様は死んだ、もうダメだと悲観していた。でも、イエス様がモーセの歴史から話し始めて、神様の救済の歴史を垣間見ることができた。


 どういう物差しを持つのか。
 
 不安で不安でたまらない、怖くて怖くてたまらない。
 それは正直な思い。
 ただ、今起こっていることも含めて、今のスケールのまま物事をとらえていいのか。
 自分が置かれている立場を大きなスケールで計り直そうではないか。
 神の救済へと向かう歴史の一ページに私たちはいる。
 そこに、新しい可能性、世界を見ることができるのではないか。

 1日も早くコロナウィルスが収束へと向かいますように。
 特に医療現場にいる人たちが守られますように。
 感染している人たちが回復しますように。
 経済的打撃を受けている一人一人が、しっかりと守られますように。
 したくても、ステイするホームのない一人一人が守られますように。
 お互いに思いやりを忘れずに、優しくなれますように。
 

| 聖書・信仰 | 19:41 | comments:2 | trackbacks(-) | TOP↑

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今考えたいこと

コロナウィルスに関連して、4/24 朝日新聞に掲載された、自由学園最高学部長 渡辺憲司さんの談話。

 ウィルスは肉体を、むしばむだけではない。精神や心をも侵してゆく。不安は、始まりに過ぎない。やがてそれは、他者への攻撃に向かう。それだけではない。自己の誇りや人間性も奪ってゆく。

 だからこそ、やさしさが必要だ。目の前の人にやさしさを向けよ。(略)

 想像力を働かせよう。病気になってしまって人を排除するのではなく、どんなに苦しんでいるかに思いをめぐらせる。閉鎖的な考えを打ち破り、危機を機会ととらえ、積極的に生きるのだ。


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 渡辺氏が語っていることは大切なことだと思います。コロナウィルスに関連してお店や宅配便の方に暴言を吐いたり、病院で働いている人たちを差別するような発言をしたりする人がいると聞くことがあります。

 「今は非常事態だから、仕方のないこと」と済ませてはいけない。そのことは、先日の藤原准教授の言葉からも明らかです。

 この談話の渡辺憲司氏は、東日本大震災のときに卒業生に向けて贈ったメッセージ「時に海を見よ」が有名です。そのメッセージはこの時にも訴えるものがあります。(全文はこちらで読めます)

 歴史上かってない惨状が今も日本列島の多くの地域に存在する。あまりに痛ましい状況である。祝意を避けるべきではないかという意見もあろう。だが私は、今この時だからこそ、諸君を未来に送り出したいとも思う。惨状を目の当たりにして、私は思う。自然とは何か。自然との共存とは何か。文明の進歩とは何か。原子力発電所の事故には、科学の進歩とは、何かを痛烈に思う。原子力発電所の危険が叫ばれたとき、私がいかなる行動をしたか、悔恨の思いも浮かぶ。救援隊も続々被災地に行っている。いち早く、中国・韓国の隣人がやってきた。アメリカ軍は三陸沖に空母を派遣し、ヘリポートの基地を提供し、ロシアは天然ガスの供給を提示した。窮状を抱えたニュージーランドからも支援が来た。世界の各国から多くの救援が来ている。地球人とはなにか。地球上に共に生きるということは何か。そのことを考える。

 泥の海から、救い出された赤子を抱き、立ち尽くす母の姿があった。行方不明の母を呼び、泣き叫ぶ少女の姿がテレビに映る。家族のために生きようとしたと語る父の姿もテレビにあった。今この時こそ親子の絆とは何か。命とは何かを直視して問うべきなのだ。



 健康を守られているなら、感染しないように注意することは勿論ですが、感染している人々がどんなに苦しんでいるかに思いをめぐらせるとともに、地球上に共に生きるということは何か、命とは何かを直視して問うべき時にいる。後伸ばしにしていては、もういけないと思う。

| 新聞記事 | 19:47 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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これから・・・

今日4/26の朝日新聞の寄稿がよかったのでシェアします。(写真をクリックすると、拡大されて読みやすくなります)

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「ワクチンと薬だけでは、パンデミックを耐えられない。言葉がなけければ、激流の中で自分を保てない。言葉と思考が強ければ、視界が定まり、周囲を見渡せる。どこが安全か、どこで人が助けを求めているか」

そんな言葉で読者に訴える藤原准教授の言葉に、もしかしたら、納得できないものを感じる人もいるかもしれません。
でも、「ワクチンと薬だけでは、パンデミックを耐えられない。」というのは、その通りだと私は思います。

この寄稿文の中で引用されている作家の方方(ファンファン)さんの言葉。

「一つの国が文明国家であるかどうかの基準は、高層ビルが多いとか、クルマが疾走しているとか、武器が進んでいるとか、軍隊が強いとか、科学技術が発達しているとか、芸術が多彩とか、さらに、派手なイベントができるとか、花火が豪華絢爛とか、おカネの力で世界を豪遊し、世界中のものを買いあさるとか、決してそうしたことがすべてではない。基準はただ一つしかない、それは弱者に接する態度である」


この寄稿文を書かれた藤原准教授は「B面の岩波新書」というサイトに『パンデミックを生きる指針』と題しても記事を書かれています。こちらもお薦めです。
「B面の岩波新書」サイトはこちら


早く収束してほしい。でも、収束して、はいそれでよし、とはならないでしょう。むしろ、その後に如何に向き合うかがより大事。
そう思う時、この国の今の首相には賢明な舵取りはできないことは明白。

| 新聞記事 | 14:23 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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『渡辺錠太郎伝』

 渡辺和子シスターが好きで、その著書を何冊も読み、一度だけですが講演を聴きに行きました。そのシスターのお父様、渡辺錠太郎氏のことを知りたいと思っていました。

 今年の2月に『渡辺錠太郎伝』が出版されたので、それを読みました。




 渡辺錠太郎は2.26事件で非業の最期を遂げました。学者将軍と言われていた渡辺錠太郎。そんな彼は非戦思想を持っていました。

「どこの国でも軍事力が大きくなると、戦争がやりたくなる。だが、どんな事が有っても、戦争ばかりはやっちゃあイケナイ。

今後の戦争はこれまで考えていた様な軍隊と軍隊とだけの生やさしいものではない。一度戦う以上は、何が何んでも勝たねばならぬが、勝っても、負けても、国民のすべてが悲惨のどん底に落人らざるを得ない。私は戦い破れたドイツ、オーストリーばかりでなく、勝った国のイギリス、フランス、ベルギー、オランダなどもつぶさに見て来たが、どこもかしこもみじめな有様であった。日本も世界の列強にならねばならぬが、しかし、どうでも戦争だけはしない覚悟が必要である。」


 そんな渡辺錠太郎と、同じ日に殺害された高橋是清が、もし生き延びていたら・・・と思います。

 「もしもあの時、父が青年将校たちの手で殺されていなかったら、後年キリスト教の洗礼を受けなかったかも知れないし、その結果として修道者となり、岡山に派遣されることもなく・・・」と、渡辺和子シスターは語っています。

 この本ではまた、渡辺錠太郎の命を奪い処刑された青年将校の弟と、渡辺和子シスターとの交流も少し描かれていて、そのくだりにも心打たれるものがあります。


 起こって欲しくないような悲惨なことが現実には起こる。自然災害や病気。人の罪が引き起こした悪事。「どうして」と問いたくなることがたくさんある。納得できないことだってある。

 それでも、それを悲惨なままに放置しておく神様ではない、ということもこの本を通して思いました。
 この本を読み終えたその日の朝に、こんなメッセージをキリスト教関係のサイトで読みました。
 この本を読み終えて、 In His big picture, everything is in perfect alignment.(神の大局にあっては、すべてに整合性があるはずです。)という言葉の通りなのだと思いました。

心がざわついて眠れません。祈りましたが、神にゆだねるという境地からは程遠いものでした。「なぜ」と怒りで心が震え、仕方なく窓から夜空に目を向けると、オリオン座の三つ星が目に留まりました。澄み切った夜空に一直線に並ぶ、あの星たちです。それらが互いに何百光年も離れていることは、天文学に疎い私も知っていました。

もしそばに行けば、近づくほどに、一直線上にないことが分かるでしょう。遠く離れているので、注意深く並べられているように見えるのです。

そう思った瞬間、自分の見方が、神の目に映る景色を見るには近視眼的だったと気づきました。神の大局にあっては、すべてに整合性があるはずです。

(原文)
I was deeply troubled and woke in the night to pace the floor and pray. Frankly, my attitude was not one of prayerful submission to God, but one of questioning and anger. Finding no release, I sat and stared out a large window at the night sky. I was unexpectedly drawn to focus on Orion’s Belt—those three perfectly arranged stars often visible on clear nights. I knew just enough about astronomy to understand that those three stars were hundreds of light years apart.

I realized the closer I could be to those stars, the less they would appear to be aligned. Yet from my distant perspective, they looked carefully configured in the heavens. At that moment, I realized I was too close to my life to see what God sees. In His big picture, everything is in perfect alignment.

| | 21:06 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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バリー・マニロウの歌~この時期だからこそ、なおさら~

バリー・マニロウのサイトで紹介されていた動画です。励まされます。

When good times come again


One Voice


We'll meet again


| ひとりごと | 07:07 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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元に戻らなくても

 コロナウィルス対策で、この日曜日も奥田牧師の礼拝のライブ配信で礼拝の時をもちました。
 
 ~礼拝メッセージを聴いて。牧師の言葉を引用しつつ~

 コロナウィルスで非常事態宣言が出され、「前の日々が懐かしい、早く元に戻って欲しい」と私たちは思う。でも、その「前の日々」にそのまま戻ってもしまっていいのか。

 OECDの「社会的孤立調査」によると、日本の孤立率は15%で20カ国中最も高くなっています。(ただ、この調査2005年頃のようで、若干の変動はあるかもしれません。)
 このまま元に戻っていいのか、孤立化した社会へと。


 コロナウィルスが収束したときに、元に戻ってしまわなくていいのではないか。改めるべきは改めて、自己の新しい在り方へと回心し、新しい復活の命へ、新しい命へ。




 4月14日の朝日新聞に新型コロナウィルスの事に関しての五味太郎さんのインタビュー記事がありました。そこで五味太郎さんがかたられていることは、奥田牧師と通じるものがありました。

「急に学校が閉められて先の見通しも立たず、大人も子どもの心が不安定になっていると感じます」との質問に対して、次のように答えていました。

  「それじゃ聞くけど、コロナの前は安定していた? 居心地はよかった?
  普段から感じている不安が、コロナ問題に移行しているだけじゃないかな。こういう時、いつも『早く元に戻ればいい』って言われがちだけど、じゃあその元は本当に充実いていたの?と問うてみたい」

 「せっかくなら、前よりよくしようよ。」

 「いまは、子どもも大人も、本当に考える時期。」



 こんなことを書くのは、言えるのは、コロナウィルスで大切な人が大変なことになっていないからなのかもしれません。それでもやはり、このまま元に以前の通りに戻ってしまうのではなく、前よりもよく生きていく、前よりもよくしていく、そういう姿勢は大切だと思います。
 

| 今日の出来事 | 14:22 | comments:4 | trackbacks(-) | TOP↑

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『言葉の品格』

 『言葉の品格』
 図書館で見かけ、本のタイトルにひかれ借りました。

 著者は韓国の作家、イ・ギジュさん。韓国の方の本を読むのはこれが初めて。読み始めたばかりですが、冒頭から心に響く言葉とたくさん出逢っています。これは手元に置いておきたい一冊です。



何気なく口にした一言に
品格が表れる。
その人だけの体臭、その人が持つ固有の香りは
その人が使っている言葉から匂い立つものだ。


と序文の前に書かれています。そして序文へと続きます。

私は人間の言葉にも帰巣本能があると信じている。・・・
人間の口から生まれた言葉は、口の外に出た瞬間、そのまま流れて消えてしまうのではない。巡り巡って、いつか再び、言葉を吐き出した人の耳と体に染み込んでくる。


そして、序文の最後は次の言葉で締めくくられています。

あなたの言葉が
誰かにとって
一輪の花のようになりますように



こんな言葉を読んだだけで、心がわくわくします。早く読み終えたいなって思います。

ただ、イ・ギジュさんは、
「森を一気に走り抜けるといより、早朝に静かな講演を散策するように、ゆっくりと味わっていただければ幸いです。」
と書かれているので、その通りに、ゆっくりと味わいながら読んでいこうと思います。

| | 19:49 | comments:6 | trackbacks(-) | TOP↑

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今読みたい本

 今のこの時期、無性にこの本が読みたくなりました。
 『それでも人生にイエスと言う』(フランクル

 この本の中で、フランクルは次のように書いています。 
 
 人生こそが問いを出し、私たちに問いを提起しているからです。
 私たちは問われている存在なのです。 
 私たちは、人生が絶えずその時その時に出す問い、「人生の問い」に答えなければならない存在なのです。
 生きること自体、問われていることにほかなりません。


 生きるとは、問われていること、答えること
 --自分自身の人生に責任を持つことである。

| ひとりごと | 19:14 | comments:2 | trackbacks(-) | TOP↑

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本の想い出

 本を読むのが好き。その下地を作ってくれたのは、両親なのか、祖父なのか?
 本棚の本を見たり、本を読んだりしている時に、時々ふっと思い出すのは、子どもの頃の家の光景。

 幼稚園に行き始めた3歳頃、家にあった背の大きな本棚によじ登ろうとしていた記憶があります。よくぞ倒れなかったものだと思います。どんな本が置いてあったかは、全く覚えていませんが、大きな白い本棚だけは、なぜか覚えています。

 それから引っ越して、小学生の頃。
 明確に覚えている本が、あいうえお順に構成された図鑑が十数冊、世界名作童話シリーズ、日本名作童話シリーズ、『星の王子さま』 『ノンちゃん雲に乗る』。その他にも色々あったと思います。

 私立に通っていたこともあって、近くに仲の良い子がいなくて普段は暇だったので、本をよく引っ張り出していました。そして、『ノンちゃん雲に乗る』を、何度も読もうとしたけれど、結局は読了できなかった。

 とにかく本はそれなりにあったのですが、両親に読み聞かせてもらった記憶も、両親が本を読んでいた記憶もありません。ですが、本を読むのが好きになったのは、本が身近にあったから?

 翻って我が家。子ども達が小さい頃から読み聞かせをいっぱいしたし、子どもが「読んで」と言えば、同じ絵本を8ヶ月近く繰り返し読みました。私自身は今でもそれなりに本を読んでいます。

 しかし、子ども達は本を読むのがそんなに好きなわけではない。なぜなんだろう?

 
“絵本を読んでいると、自分の「心の故郷」の色々な思い出が甦ってきたり、あるいは自分の心が絵本の世界にタイムスリップして、ナイーブで純な童心になったりして、不思議な感慨や穏やかな気持ちに満たされることが多い”

 これは柳田邦男さんがある本で書いている言葉です。
 子ども達がそれなりの年齢になって、幼い頃よく手にした絵本のページをめくったときに、柳田邦男さんが書いているような思いに満たされたら、それでいいのかも。

 やったことに対して、何等かの結果を求めてしまいがちですが、大切なことは目には見えない。心の奥深くに刻まれていたら、それでいい。

 ・・・と思いつつ、母としては本を好きになってほしい。

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さくら

 4月。家の前の空き地の桜がほぼ満開。扉を開けると、美しい桜が今年も目に飛び込んできます。

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 桜とは関係ありませんが、昨日4/3朝日新聞の折々のことばは、サン・テグジュペリの言葉でした。

「人間であるということは、自分には関係がないと思われるような不幸な出来事に対して忸怩たることだ」

 これを受けて鷲田清一さんは「人々の歓喜や悲嘆と自分は無縁ではないと」と書かれていました。
 
 そんな心持ちでいられたら。青い空に映える桜の美しさと共に、心に刻んでおきたい。
 
 

| 今日の出来事 | 15:37 | comments:2 | trackbacks(-) | TOP↑

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