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Crescent~小さくても光を受けている。きっと誰かに愛されているから~

本や子ども、聖書のこと、日々の徒然を書きます。トップの画像はその時々で変わります。

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難しいけれど・・・

ここしばらく、ずっと内村鑑三に関連する本を読んでいます。
先日も書いたのですが、内村鑑三のこの言葉がずっと心に残っています。

愛を与えよと祈るのではない。
すでにもっている愛を、使うことを得しめ給えと祈るべきである。



いくつかの場面で愛のない自分を感じ、「神様、私に愛を与えて下さい」って祈ることがあります。
でも、内村鑑三のこの言葉に出合って、そうじゃないんだって気づきました。

神様はすでに、一人一人に、人を愛する心を与えて下さっている。

「誰かを愛せないから、愛を与えて下さい」って言うのは、違う。
誰かを愛せない、というのは、愛がないから、愛せないのではない。
その誰かを愛したくない、そんな自分だからなんだ。


イエス様がされたたとえ話に、こんなたとえ話があります。
家の主人が旅に出かけるとき、しもべにお金を預けた。
その預かったお金で商売をし、2~5倍の利益を得た者がいる一方、土の中に隠したままにしていた者もいた。
そして、主人が帰ってきて、土の中にお金を隠したままにして、そのお金を利用しなかったしもべに、「悪い怠惰なしもべよ」と断じた。


この”お金”を”愛”に置き換えてもいいと思います。
「愛がない」というのは、”悪い怠惰なしもべ”と同じで、土の中に隠したままにしてるんですよね。


そんなことを思った時、私は神様の恵みを無駄にしている、って・・・。


でも、そのことは分かっても、どうしても愛せない、いやいや、愛したくない人がいます。

「すでにもっている愛を、使うことを得しめ給えと祈るべきである。」

と内村鑑三が言うように、まずは祈っていきたいと思います・・・難しいけれど。
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