『世界の戦場で、バカとさけぶ』
これは、戦場ジャーナリストの橋田信介氏が故郷、山口県宇部市の「宇部日報」紙上に連載していたコラムを奥様がまとめたもの
。橋田氏は2004年5月にイラクで凶弾に倒れました。
とても軽妙な語り口で書かれていますが、でも、戦場がどういうものか、日本社会のおかしなところをズバッと切り込んでいると思います。
戦争のできる国へと舵を取りつつ今の日本ですが、こういう本はもっと読まれてもいいのにって思います。
橋田氏は言います。
「戦争」と「戦場」は違う、と。
「戦場」は単なる殺し合いの場。「戦争」は経済権益や大国の威信をめぐる政治のかたまり。
アベ内閣や官僚達は「戦争のできる国」へと日本をしたくてたまらないようですが、彼らが考えているのは、あくまで「戦争」。
「戦場」を考えては決してないのだろうと思います。
だからと言って、「戦争」も絶対に嫌です。
次に転載する文章は、奥様が「あなただったら、何と言うだろうか、どう考えるだろうか?」と書かれたものです。
それは、2004年12月31日にイラクで殺害された香田誕生さんのことに関してです。
日本人というのは、どうして「目の前の事象」にしか目を向けられないのでしょうか? 問題の本質は、香田さんの行為や亡くなられ方ではないはずです。誰が、どういう理由で、イラクをこんな状態に追い込んだのか、ということではありませんか? イラク戦争が始まる前まで、ほんの一年半か二年前までのイラクは、外国人の「旅行者」がイラクの街中を自由に歩き回れる状態だったのです。 このたった一年半か二年くらいの間に、イラクは今のような状態になってしまった。こんなイラクにしてしまったのは、一体誰なのでしょう? そのことをみんなが忘れてしまっているのではないですか? そもそも国家と国民は契約で結ばれているのだと思います。 国家は「その国民の生命と財産を守る義務」がある。その代わり、国民は税金を払いましょう。そういう契約を結んでいるのではないですか? 国家は国民から税金だけ巻き上げ、国民の生命を守ることを放棄してしまっているのが今の日本という国だと思います。 ご自分たちが「義務を放棄」しておきながら「自己責任」とか「退避勧告が出ていたのに・・・・・・」と責任を犠牲者に押しつけるのはおかしい。 人の命をどう考えておられるのですか? 人を愛したことがないのですか? ご自分の家族でなければ、他の一般国民の命はどうでもいいのですか? 公務員だけ守られればいいのですか? そして、ご自分たちがイラクを今のような状態にした「加担者」だ、ということも忘れているのでありませんか? 本来、国家というものは、国民の前面に立って大手を広げて、国民を守るものなのではないですか? 今の日本は違いますね.国民からむしりとるだけむしりとって、一握りの方々を守るために、国民を自分たちの前面に生け贄として差し出している。こんなにひどい国は他にはない。 ・・・・・・ 戦争が始まる前まで、イラクの人々は日本と日本人に対して「良い感情」を持っていたそうです。それが、この二年近くの間に変わってしまった。日本はアメリカの同盟国であり、イラクに敵対する国になってしまったのです。 だから、香田さんは殺されてしまった。いわば、香田さんは、日本という国に殺されたも同然なのではないでしょうか? ・・・・・・ そういう方々を選んだのは、私たち国民一人ひとり・・・。ですから、その「罪」も「罰」も、私たち国民一人ひとりが負うべきものなのでしょう。 |
日本を取り巻く環境は変わっている、と言い、だからこそ安保法案をぜひとも可決しないといけないと言う。
日本を取り巻く環境が変わったとしたら、どうしてそうなったの?
その責任を諸外国にあると言わんばかりのアベ政権ですが、そうでしょうか?
戦争を仕掛けていくアメリカに盲従し、その結果、自衛隊を海外派兵した頃から変わっていったのではないでしょうか。
イラクやアフガニスタン、シリアが今のような状況に陥ったのは、どうして?
そういうことを考え、平和を本当に追い求めるなら、そこに武力や軍隊は必要ありません。
武力や脅かしで平和なんて絶対に来やしません。
私たちは今、こうして生きています。
その生きている命を、ある人たちの思惑のために奪われるなんて、絶対に嫌です。
橋田信介氏は、大学で講義をされてもいて、そこで「生きることの大切さ」を伝えていたそうです。
生きる、ということは大切なこと。
そのことを分かっていない人たちが、生きるとは儲けることだとしか考えていない人たちが戦争を起こし、戦場を生み出すのだろう。
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