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違うと思うことは違うという。

今日10/25の朝日新聞、(政治断簡)というコラム、<「私は嫌だ」いえる社会を>より一部転載。こちらに全文。

嫌なことは嫌という。違うと思うことは違うという。

 自分の思いを自由に表現できることがどれほど大切か、改めて思う。だが私たちは、手にしているはずのこの大切な権利を、どこまで行使できているだろうか。

 ・・・余計なことを言ったら仕事に差し支える、世間から指弾されるなどと思って言葉をのみこみ、がまんしている人は結構多いのではないか。

(中略)

 私は、SEALDsの若者たちに敬意を抱いている。

 「戦争法反対」と唱えているからではない。主張の中身はさまざまでいい。

 自分の頭で考え、言葉にする。「私は嫌だ」といえる、空気に流されにくい社会をつくる。それをめざし、圧力に負けずに取り組んでいるからだ。それこそ、この国の民主主義にとって大切だからだ。



おかしなことはおかしい、と言う。
違うと思うことは違う、と言う。
嫌なことは嫌、と言う。

でも、そういうことができにくいこの日本の社会。
そんな社会はおかしいはずなのに、おかしいと感じない。
そういうことが積み重なった結果が、今の日本なのだろう。

おかしい、と感じないだけではない。
主張すべき事を主張しないから、何が大事で、守らなければならないことは何か、そんなことを考えようとせず、思考停止に陥る。
その結果が、ジュンク堂や放送大学のあの一件に見事に現れているのではないでしょうか。

先日22日の朝日新聞で、山本太郎さんのこんな談話が載っていました。
みんなが言うべきことも言わず、長いものに巻かれ、我が身の保身と目先の利益ばかりに汲々とした結果が、この『今だけ、カネだけ、自分だけ』の世の中なんじゃありませんか。これは長続きしませんよ。

世の中がどんどんどんどん息苦しくなっていく。
そんな世の中を、社会を子ども達に引き渡したくはない。

昨日の朝日新聞に、シリア難民に関連したコラムがあり、その最後に
「ローマ帝国が滅びたきっかけは異民族の侵入ではない。壁を作り、活力を失ったことだ」と、セルビアの社会問題担当相の警告が記されていました。

壁を作り、活力を失った。
この警告と、今の日本が重なります。

そうならないために、言うべき事は言う、そんな人が増えていくためには・・・。

「人は誰しも自分を守ろうとし、力の強い者の考えをおもんぱかって行動する。だが、それだけでは力のない者や少数者がひどい目に遭ってしまう。だから自覚的に弱い立場の側を考慮していかなければならない。その視点は教育の中で育んでいくしかない」(『時代の正体』より)

教育。そして想像力。
「長いものには巻かれろ」、そんな状態が続けば、その結末はどうなるのか。


無関心や「そこまでひどいことにはならない」という根拠のない信頼。そうして、低温やけどのようにいつの間にか傷を負っている。「少し熱いな」と放っておいて、気づいた時にはもう手遅れになっている。自民党はこの手法を明らかに意図的に、そして一貫して採っている。(『時代の正体』、想田和弘氏の言葉)


「長いものには巻かれろ」、そうしていれば安泰だから、と言っている場合じゃないんですよね。
自戒を込めて・・・。
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| 新聞記事 | 19:30 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

こんにちは♪
なんだか、どんどんいやなことが増えていっていますね。
とうとう書店にまで。
大学も、締め付けが厳しくなって、文科省のいいなりになりつつありますね。なにも言われてなくても自粛してしまうこの国の空気。
大学での学問や書物にまで、政権の思惑が及ぶとなると、ほんとに
もう言論統制社会の一歩前です。
それは単に一大学、一書店の問題でなく、そのムードがあっと言う間に広く世間一般に伝播していくから怖い。
ネトウヨなどが勢いづき、まともな神経持った人々が口を噤んでしまうと、その悪影響は相乗効果的に広がっていってしまう…。
そんな日本で、子供たちを育てたくないですね…
穏やかな秋の日。
それなのに心の内は、もの悲しいです。

| 彼岸花さん | 2015/10/27 12:15 | URL | ≫ EDIT

彼岸花さん

本当に嫌なことがあちこちで起こっていますね。
こんな風に自主規制していってしまえば、本当に言論の自由を自らの手で壊してしまうことになると思います。
小さな妥協の積み重ねが、この社会を息苦しいものにしていくのに・・・。
矢内原忠雄が「東京大学に望むこと」と題して、こんなことを言っています。
「学問をする学府としての権威を維持するということです。金さえもらえばどんな研究でもするというのではなくて、真理を学ぶ場所としての権威は維持しなければならない。(中略)教授でも学生でも、一般の学風として学問的精神、科学的精神の盛んな学府となり、政治的勢力と妥協したり、政治的宣伝によって軽挙妄動したりしないところの学風的気質を養うことは、東京大学のみならず、日本のために必要だろうと思う。」
また、大学辞職の日の最後の講義では、
「実行者の現実の政策が本来の国家の理想に適うか否か、見分け得ぬような人間は大学教授ではない。(中略)時流によって動揺する如きものでなく、真に学問の基礎の上に国家思想をよりねりかためて、把握しなければならない。学問的真実さ、真理に忠実にして真理のためには何者をも怖れぬ人格、しかして学術的鍛錬を経た深い意味の国家思想、そのような頭の持ち主を教育するのが大学であると思う。」
こんな矢内原先生の言葉を読むと、今の教育はこの言葉とは真反対の、権力への迎合、妥協、恐れを植えつけているように思えます。
本当にこんな日本で、子どもを育てたくないです。
穏やかな日々を過ごしていって欲しいと思いますが、子ども達の将来が本当に不安です。

| 愛希穂 | 2015/10/27 21:17 | URL |















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